2018年3月5日月曜日

啓蟄(二十四節気)蟄虫啓戸(七十二候)3月6日~10日 「綱つり、大蛇」の「災いよけ」「小正月」 菜の花開く

 二十四節気は「啓蟄」で、七十二候は「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」です。暖かくなって、冬ごもりの虫が出てくる頃の意でしょう。でも、虫が動き出すには少し早すぎるようなので、このところ目につく「古墳広場」(写真:左)と「おまつり広場」(写真:右)の”モグラ塚”です。追加:4日の”黄昏時”に”鶯の初音”を聞きました。周りの林を探したのですが、姿は見つかりませんでした。”ホーホケキョ”は、最後のところがもう少しといった感じでした。2月9日の七十二候「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」から約1か月たって、ようやく聞くことができました。
 「房総のむら」の「災い除け(よけ)」です。以前は、現在の行政単位よりも小さな単位の地区や町内といった範囲(”むら”)で、”むら”に”災い”が入り込まない、そして”むら”の”ケガレ”を送り出すために”むら境”で様々な”災いよけ”の行事が行われてきました。それは”道切り”と呼ばれ、①”太綱(辻切り)”②”綱つり”③”お札立て”などがあります。”むら境”を守る”標”として”道祖神””大般若経””鹿島様”などを置くところもあります。多くは正月から2月にかけて行われますが、年に何度も行われる地域もあるようです。地区の大部分の家から住民が集まり”わら”などでいろいろな形の”呪物”を作り、”道切り”をした後に地区の取り決めをして皆で酒を飲むことが多かったようです。写真は準備中の風景です。「上総の農家」では、大きな”かしま人形”の骨格を竹で作っています(写真:上左)。「下総の農家」では、”大蛇”の胴体(写真:上右)と頭を編んでいます(写真:中左)。佐倉市の事例のヘビには、大きな”目”も付き”舌”は唐辛子が差されました(写真:中右)。八千代市の事例では、”舌”だけではなく”目”も唐辛子が使われ、”背中”には”ヒイラギ”が差されています(写真:下左)。「安房の農家」の”蛇”の頭は、「下総の農家」とは違って”太い縄”を輪にしています。”目”は橙(ダイダイ)、”髭”は龍髭(リュウノヒゲ)、”牙”は唐辛子(トウガラシ)で作りますが、”舌”は縄で作っています(写真:下右)。
 「上総地方」の事例です。「上総の農家」の”綱つり”は、木更津市金田の事例を「商家の町並み」側(写真:上左)と「むらの架け橋」側(写真:中左)に再現しています。”わら縄”は”左綯い”で、”わら”で作られた”海老・蛸・男女一体の鹿島人形”に”たわし”「天下泰平 町内繁栄 五穀豊穣」と書いた”木札”と”サイコロ”を下げます。「”蛸”は災いを吸い取り、”かしま人形”は災いを追い払い、”たわし”で洗い流して、村の中が平和で栄えることを願います(写真:上右)。「水車小屋」近くの”大ぞうり”は、富津市関尻の事例です(写真:下左)。”大きなぞうり”は、「この”むら”には巨人が住んでいるとか、”疫病神”にこの”ぞうり”を履いて帰ってもらう」意味があるといわれ、綱に挟み込まれた”杉の葉”と”炭”は「私のむらは災いは過ぎ(””)ました、済み(””)ました」と門前払いしてしまうもので、後々祟ると怖いので、”酒樽”の酒を振る舞い新しい”ぞうり”を履いて帰ってもらおうという願いが込められているそうです。”かしま人形”は、袖ケ浦市阿部の事例です(写真:下右)。”すだれ状に編んだわら衣”をまとい、”桟俵の鐔”の”竹の刀”を差し、”男人形は袖絡み”を”女人形は薙刀”を手に持ち両手を広げて立ちはだかります。面白いことに、両手両足の指は4本です。
 「下総地方」の事例です。「下総の農家」では、「水車小屋」から上がってきた”庚申塔”(写真:中左)の前の道に印西市本埜の龍腹寺地区で行われている”大綱”の”辻切り”を再現しています(写真:上左)。”大ムカデ”をかたどった毛羽だった太い綱を三本作り、綱の中ほどにお札を挟んだ”ヌルデ”の枝と”榊””篠竹”を”太綱”にさして”五穀豊穣”を祈ります(写真:上右)。”庚申塔”には”注連縄”と”ゴボウジメ”が巻き付けられてられて、町内の安全を願う匝瑳市西小笹の”オデイハンヤ”の展示です(写真:中左)。「農村歌舞伎舞台」のある「おまつり広場」から坂道を下ると、左の木に”わら”で作られた”大きな目の蛇”が待っています。”むら境”の道端の木に”蛇”を巻きつけた、佐倉市井野の”辻切り”の事例です(写真:中右)。”オビシャ”の際に米・麦・豆・粟・トウモロコシを神主にお祓いしたものを和紙にくるんで”目”とし、”舌”には唐辛子が差されています。”むら”全体には”大辻”を飾り、各家には”小辻”を飾ります。”疫病よけ”と考えられていますが、”五穀豊穣”の意味があるともいわれています。近くの八千代市上高野の”辻切り”(写真:下左)は、”蛇”は”むら”に悪疫が侵入するのを阻止するためといわれ、”魔よけ”として”背中”に”ヒイラギ”を差し、”目”と”舌”には赤唐辛子を使います。各家の門口には、同じ作り方をした”小蛇”が下げられます(写真:下右)。
 「安房地方」の事例です。「安房の農家」の横(写真:上左)と「おまつり広場」からの坂道の下(安房の農家へ登り口)(写真:上右)に下げられているのは、鴨川市打墨(津辺)の”綱つり”の再現です。大きくだらしなく作られた”わらじ”と”ぞうり”、”杉葉を口に刺した瓢箪”、”唐辛子を挟んだツトッコ”、それに”「大般若経十六善神」と書いた札”が下げられています。「安房の農家」の「ダイドコロ」の入口には、”蟹殻掛け”があります(写真:中左)。これは日を決めて作るのではなく壊れた時などに作り替えたそうですが、”災厄よけ”になるといわれ、漁師の家に見られました。大きな”タカアシガニ”の”甲羅”に凹凸をうまく利用して”怒っているような顔(鬼面)”を墨で書きます。「水車小屋」近くには、南房総市和田町仁我浦地区の事例が3例再現されています。仁我浦地区では、上台(写真:中右)、中台、下台(写真:下左)、橋の下(写真:下右)でそれぞれの”むら境”に”綱つり”をします。流行病など悪いものが”むら”に入らないようにと御神酒をかけた”ダイジャ(大蛇)”を飾ります。”大蛇”の頭部は三つ編みの要領で作られ、胴部から下げる”ぞうり・桟俵・束子・御札・サイコロ”の有無などは”台(むら)”によって伝承の相違があります。上台では男性主体ですが、他は女性が中心に作るそうです。
 3月2日は旧暦の1月15日でした。この日は1月1日の”大正月”に対して”小正月”と呼ばれます。月の満ち欠けによる旧暦では、満月となる15日が区切りであり、新たな始まりだと考えれられていました。そこから、その年の最初の15日である1月15日が新年だという意識が生まれたようです。”小正月”には、各地で”予祝行事””年占行事””火祭り”などの行事が行われました。また、この日に”粥”を食べる習慣が全国的にみられ、”クリ”の木などに丸餅を差し作物が豊かに実った様子を表現した”ナリキ”と呼ばれるものを作り豊作を願いました。「上総の農家」では、大網白里市で行われてきた”綿”の豊作を願い、”ナラ”の木に餅を飾り付けた”木綿(きわた)”を再現しています。
 「下総の農家」では、佐倉市井野の”成木餅(なるきもち)を再現しました。14日に”クリ”の木に、丸めた白い餅をたくさん飾ります(写真:左上)。よく見ると、”イガ”も付いています。木の一番上の餅は他よりも大きく、”オテントウサマ”と呼ばれます。室内では神棚(写真:上中)や仏壇(写真:上右)だけでなく、”かまど”の神様(写真:下左)などにも飾ります。また、庭先の”荒神様”(写真:下中)や”庚申塔”(写真:下右)にも”成木餅”を飾ります。見学にお見えの方が、「出身地の群馬では”繭玉”で作っていた」と教えてくれました。
 「商家の町並み」「お茶の店」の「煎茶作り」の実演です。実演は、「さしま茶手揉み保存会」の皆さんです。”ほいろ”の上で茶の葉を揃えて拾い上げ、手を前後にすり合わせて形を整えながら少しづつ乾かしています(写真:左上)。”ほいろ”の上で茶の葉を両手ですり合わせ、そして、まとめた茶の葉を左右に引っ張って二つに分ける作業などを繰り返しながら茶の葉を細長く形を整えていきます(写真:上右)。最後に”ほいろ”の上に茶の葉をに広げて乾燥させます(写真:下左)。針のように細く長い”手揉み茶”が出来上がりました(写真:下右)。この後、出来立ての”煎茶”を1時間ほどゆっくり時間をかけて”水だし”した”お茶”をいただきました。”まろやかな深みのある甘い茶の香り”が、口中に拡がりました。※ほいろ:写真(上左)に見られる、粘土で作られた大きな箱の上に厚手の和紙を張り中には炭火が置かれ、和紙の上で蒸した茶の葉を乾燥させながら揉む道具。
  「商家の町並み」「めし屋」の「干しうどん」の展示です。江戸時代には、”干しうどん”を売る”そば屋”が数多くありました。房総では、”干しうどん”を名物にする「笹屋」が有名でした。「笹屋」は下総「行徳」(現市川市)に店を構えており、当時の紀行文にも記されるほどの評判の店でした。(以前、「昔の町並み探検隊」で尋ねたこともあります。)”干しうどん”は、”生地”を薄く延ばしてそば状に切った後、篠竹に吊るして干します。”寒中”の天気の良い日なら1日で乾燥します。”干しうどん”は、”生麺”とは一味違った”のどごしのよさ”と”日持ちのよさ”が特徴です。
 ここ数日の暖かい陽気で、「上総の農家」の「菜の花」が咲き出しました。本格的な開花までは、まだ時間がかかりそうですが、近くの”梅の花”とともに春の訪れを告げているようです。
 「安房の農家」の近くでこんなものを見つけました。「ウスタビガ(薄手火蛾)」の”繭”です。(中身は空です)このところの強風で枝が折れて落ちたようですが、枝が折れても”繭”は枝から離れていません。かなりしっかり枝にぶら下がっているのですね。「房総のむら」でも、木々の葉が落ちた後の枝に、薄い黄緑色のこの”繭”がぶら下がっているのを目にしますが、近くで観察することができました。

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