2018年1月29日月曜日

大寒(二十四節気)鶏始乳(七十二候)1月30日~2月3日 「むら」の”つらら” これが「むらの味噌作り」

 この冬一番の冷え込みです。やはり「大寒」ですね。”お日様”は出ていても、風が冷たく肌を刺すようです。先日の大雪で、茅葺の「上総の農家」「主屋」北面(裏側)の軒先に”つらら”ができました。庭に面した南面屋根の雪は完全に解けてしまいましたが、裏の北面屋根の雪はまだ残っており、昼の間に少し解けその水分が”茅葺屋根”の軒先に”つらら”になっています。しかし、先端が尖っていますので、もし落下したら”危険”ということで”撤去”しました。
 こちらは、「水車小屋」の小さな”つらら”です。「水車」は流れる水で回っていますが、「水車」にあたって飛び散った”水しぶき”で”つらら”ができていました。
味噌作り ① 「下総の農家」の食品加工「味噌作り」体験です。”寒仕込み味噌”です。”手前味噌”という言葉もあるように、「味噌」は家によってさまざまな味があったようですが「下総の農家」ですので房総”下総地方”の農家の例にそった作り方で体験していただきます。まず、①”大豆”を洗い一晩水に浸し、翌日その”大豆”を1日柔らかく煮ます(写真:上左)。②さらに次の日(体験の日)にもう一度”大豆”を煮て熱くしてから鍋から引き揚げ(写真:上中)、”大豆”の汁気をきって”臼”に入れます(写真:上右)。③”臼”に入れた”大豆”を”杵”で搗きます(写真:中左)。④”大豆”が八分ほど潰れたら、”桶”に移します(写真:中中)。⑤”米麹(こめこうじ)”に”塩”を加えよく混ぜます(写真:中右・下左)。⑥”桶”に広げた潰れた”大豆”に”米麹”と”塩”を投入し、よくかき混ぜます(写真:下中)。⑦途中で、”大豆の煮汁”を入れて固さを整えます(写真:下右)。 
味噌作り② ”潰れた大豆”に”米麹”を混ぜた”味噌の元”を、この時の体験者は3人でしたので、おおよそ3等分しました(写真:上左)。⑧事前に、”味噌”を貯蔵する容器を熱湯で消毒しておきます(この作業が”カビ”の発生を抑制するためには非常に重要です)(写真:上右)。⑨出来上がった”味噌の元”を空気を抜くようにして丸めて”味噌玉”(写真:上中)にし、空気が入らないよう容器の底に勢いよく叩きつけるようにして投げ込みます(写真:中左・中)。⑩すべて入れたら表面をならし、周囲を容器にそって少し窪ませます(写真:中右)。⑪表面全体に薄く”塩”をふり、窪ませたところには”塩”を少し多めに盛り、”大豆の煮汁”を少しかけます(写真:下左)。⑫最後に、味噌の表面に空気が触れないように”笹の葉”を一面に張り付けてから蓋をします(写真:下中・右)。内蓋の上に”重し”を置き、”日当たりの悪い温度変化の少ない場所”でこの状態で半年から1年”熟成”させます。一仕事終了です!お疲れさまでした。あとは”麹菌さん”など”ミクロの生物”たちが頑張ってくれることを祈って、おいしい”味噌”ができるのを待つだけです。楽しみですね。でも”カビ”が発生しないか、うまく”熟成”するか心配かもしれませんが、その心配も”楽しみ”のうちですね。
おまけ とうぞ(豆造)作り」です。「味噌」を仕込んだ時の「大豆」の”煮汁”や余った”麹”で作る”醗酵漬け物”です。あっさり素朴な塩味で栄養満点です。千葉県のHPでは市原や長生地方特有の保存食と紹介されていますが、下総地方でも昔から「味噌」を作るときにできる”煮汁”を利用して「とうぞ」を作っています。作り方①事前に、”大根”を”いちょう切り”にして天日に干して”切干し大根”を作っておきます。②”切り干し大根”は、さっと水洗いし水気をきっておきます。③”煮大豆”が入った甕に”米麹”(写真:上右)”切り干し大根”(写真:中左)”塩”を入れ、さらに”煮汁”を加えて(写真:中右)混ぜ合わせれば(写真:下左)仕込みは完成(写真:下右)です。5日ほどで塩がなじみ食べられます。お酒の”つまみ”や暖かいご飯にのせて食べるのが定番のようです。一度食べるとやみつきとか。”房総の郷土食”です。
 まだ寒いですが、”桜の季節”はもうすぐです。そこで、「商家の町並み」「菓子の店」では、「桜餅」の実演・体験です。指導は、”ご存知”匝瑳市”鶴泉堂”の「大川功修」さんです。「桜餅」二種です。関東地方で「桜餅」といえば”長命寺の桜もち”がよく知られていますが、呼び方は「桜餅」です(写真:右右)。一方、関西では「道明寺」です(写真:右左)。関東の「桜餅」は”こし餡”を”小麦粉で作った皮”で包状に包み”桜の葉”で包みますが、「道明寺」は本来は”道明寺粉”を蒸した”餅”に”つぶ餡”を詰め”桜の葉”を巻くので”ぼた餅”のように丸く、表面には”粒”が残るそうです。「大川」さんに教えていただきました。 
 「商家の町並み」「紙の店」の「和紙の原料作り」の実演・展示です。「和紙」は、”植物繊維”を細かく砕き、それを漉いて作ります。材料は、繊維が長く強靭な”楮(こうぞ)・三椏(みつまた)”などの”靭皮(じんぴ=植物の外皮の下にある柔らかな内皮)繊維”が主に使われます。”和紙の原料作り”は、まず「房総のむら」で栽培している”楮”を刈り取り釜で蒸し、温かいうちに皮を剥がします。この皮(写真:下左)から”黒い表皮”を取り「白皮」(写真:上右)の状態にして、釜で煮込んでからゴミを除いた「白皮」を板の上で”角材”で叩き繊維を柔らかくします(写真:下右)。この後、さらに細かな”チリ”も取り除き、”トロロアオイ”の根を叩いて出した”粘り”を混ぜて”和紙を漉く原料”が出来上がります。体験者のお子さんは”角材を持つ手は冷たそうでしたが、”白皮”を上手に叩いていただきました。ありがとうございました。おかげさまで叩かれた”白皮”は、”繊維”が柔らかな”紙クサ”と呼ばれる状態になりました。ありがとうございました。 ちなみに、店先にある”黄色い棒”は外皮を剥がした”楮”で、来館者への”おみやげ”です(写真:上左)。
 「商家の町並み」「鍛冶屋」の「鍛冶屋入門」体験です。この日は、”ふいご”を使って、”軟鉄”を真っ赤に焼き、”槌打ち”し、”ヤスリ”で磨いて(写真:左)「ペーパーナイフ」をつくりました。およそ1時間ほどの体験です。完成した”世界に一つだけ”の”マイ”「ペーパーナイフ」に満足のようでした。お疲れさまでした。先が尖った金属ですから、気を付けて使ってください。 
 「下総の農家」の展示「普段の食事」です。本来は「安房の農家」の展示ですが、”茅葺屋根”の改修工事のために「下総の農家」での展示です。日本人の食生活は、第2次世界大戦を境に急激に変化しました。全国的に”米のメシ”がいきわたり、”洋風のパン”などが広く食べられるようになりました。しかし、それ以前の農村での食事は、”メシ・シル・コウコ”などを基本とした”普段の食事”と、祭りや農作業に関する”年中行事”の日に食べる”餅・団子・すし・尾頭付の魚”などの”ごちそう”に分けることができます。展示は、”麦飯””オツケ(味噌汁)””タクアン・大根の煮物”の”普段の食事”です。時代小説などで描写される食事内容ですね。
 「下総の農家」の実演です。これは何だかわかりますか?「もっこ」といいます。物を運ぶ運搬用具ですね。一般的に”もっこ”というと”藁蓆(わらむしろ)”などの四隅に吊り綱を2本付け”天秤棒”で担ぐ形状のものを思い出す人が多いと思うのですが、「下総の農家」では”もっこ編み台”を使って両端に竹棒置きその間を縄でネット状に編み上げています。”タンカ(担架)”のようですね。
  時々紹介する「下総の農家」の「昔のあそび」ですが、人気の「羽根つき」(写真:右)「ベーゴマ」(写真:左上)「鉄芯独楽(こま)(写真:左下)」です。ボランティアの方々の上手な指導で、「ベーゴマが回せた」と感激の写真が”インスタグラム”などにも投稿されています。
 「安房の農家」の”茅葺屋根”改修工事の進捗状況です。屋根正面の表層の”茅”の葺替えはかなり進んできました。下から見ると、もうすぐ”棟(屋根の頂部)”というところまで、”新しい茅”になりました。

2018年1月26日金曜日

房総のむらの花だより

 本日は、資料館を出発し、上総の田んぼ、竹林の坂、上総の農家からむらの架け橋を巡り、武家屋敷に寄って戻りました。

●上総の田んぼでは、ゲンゲの根生葉が観察できました。稲の肥料になる窒素を供給してくれる草です。
●ソシンロウバイが上総の農家で満開です。
●コセリバオウレンも沢山開花してきました。
●昔は、ハバヤマボクチの葉の裏に付いている白い毛を集め、“ほくち”(火口)として利用していました。
●ヤブツバキはツボミが膨らむ頃、昨年の果実が割れ、種子が放出されます。
●チョウセンレンギョウの早咲きがポツポツ見られます。
●武家屋敷横の東屋裏でシロダモを確認しました。その隣にはタブノキの冬芽も見られました。双方とも大ぶりな冬芽で見ごたえがあります。
●紅梅が茶室前で先週から咲き始めています。

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◎以上は、むらの自然ガイドボランティアさんからの写真と記録です。1月19日(金)の観察に基づいています。 (風)

2018年1月24日水曜日

大寒(二十四節気)水沢腹堅(七十二候)1月25日~29日 むらも大雪 大寒でも体験です 茅屋根葺替え


 「大寒」の七十二候次候は、「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」です。沢の水が氷となり、厚く張り詰める頃だそうです。「下総の農家」の下の”調整池”も一面に氷です。表面が細かく波打っています。
 こちらは、「商家の町並み」の”天水桶”です。氷が張っていますが、大きな”三角形”ができる日もあれば、同心円状に境目ができる日もあり、日によって氷のでき方が変わります。
 22日に大雪が降りました。春が近いと思ったのですが、やはり「大寒」なのですね。これから、この冬一番の寒気が来るそうです。写真は、23日の「房総のむら」です。朝の内は”雪化粧”でしたが、午後にはかなり溶けだしていました。体験を予定していた学校など多くの団体さんが、”キャンセル”されました。でも、この”雪”では仕方ないですね。改めてのご来館をお待ちしております。
 「商家の町並み」「畳の店」(写真:左)「木工所」(写真:右)の「太子講」の展示です。「太子講」は、旧暦の1月21日か22日に「聖徳太子」を”職能神”として信仰する”大工”や”畳屋”などの同業の職人達が集まって”太子像”を祀り、飲食や会合を行います。この日に行われる講は、飲食をするほか賃金の協定をしたり、様々な申し合わせをしたり、職人仲間の運営にとっては大切な日でした。
 「商家の町並み」「細工の店」の「間野政勝」さんの「ざる・かご」作りの実演です。隣の”手桶”は、「間野」さんが修理した「房総のむら」の”手桶”です。修理前は長く「商家の町並み」で風雨に曝され”白木”の表面が古色を帯び”タガ”が外れた状態でしたが、なんと”芸術作品”に生まれ変わってしまいました。”タガ”を締め直すだけではなく”桶”の表面を焼いていただき、”木目”が浮かび出た茶色の”桶”に黄白色の”タガ”がしっくりしています。「間野」さんが”房州”から持ち帰った「スイセン」を入れて、店先に飾らしていただきました。
 こちらも、ブログには時々登場していただいている「商家の町並み」「菓子の店」の「大川功修」さんです。今回の実演は、「黄味しぐれ」です。中心に”餡”を入れ、回りを”卵黄”が入った”生地”で被い、表面に乾燥させた”粉末状の乾燥餡”をまぶします。出来上がったら”せいろ”に並べ蒸すこと5分ほどで、”卵黄”が膨張して細かい亀裂が入って完成です。伝統的な手法で作られた「黄味しぐれ」は、見た目もきれいなおいしい和菓子です。「商家の町並み」「茶店」で提供させていただきました。

「商家の町並み」「本・瓦版の店」の「折り本」作りの体験です。「折り本」は、横に長くつなぎ合わせた紙を一定の間隔で折り畳んで製本した”本”です。先頭の部分と最後の部分に”厚手の表紙”を取り付けますが、「房総のむら」では表紙の紙には”千代紙”や”浮世絵”などを使用します(写真:右)。はじめに紙をつなぎ合わせ、表紙は厚紙の上に薄い綿をのせて、その上にお好みの紙を貼って完成させます。作業は単純ですが、より”きれいな製本”にするためには紙の張り合わせなどに丁寧な作業が求められる体験です。
 「商家の町並み」「瀬戸物の店」の「七宝のキーホルダー」作りの体験です。「七宝」は、伝統的な金属工芸で、”金属の素地”に高温で溶けた”釉薬”で美しい彩色をするものです(写真:右)。基盤となる形を選び、その上にお好みの”ガラス小片(フリット)”を並べて模様を作ります。その後、”高温の炉”に入れて”ガラス”を溶かします。最後に、金具を付けて完成です。”ガラス”が思いどおりの模様に溶けたようで、きれいな「七宝」に満足していただけたようです。
 「安房の農家」の「茅葺屋根」の改修工事の進捗状況です。建物正面の表層の”茅”の”葺き替え”もずいぶん進んできました(写真:上左)。「安房の農家」の現在の”茅屋根”は、いろいろな”茅”が混ざった”茅”で葺かれているので、同じように葺き直します。そのために、屋根のコーナー(隅)部分などを葺く場合には、はじめに地上でいろいろな”茅”を混ぜて”束”を作って(写真:中左)おいてその”茅の束”で作業をしています(写真:上右)。しかし、「母屋」中央部のように面的に広い場所は、”ツイタテ(衝立)”を設置しその中に何種類かの”茅”を置いてその場で整えながら(写真:中右)並べ最後は”長い茅”で押える(写真:下左)のだそうです。こうすると、”茅”が下にずり落ちるのを防ぐこともでき効率的だそうです。また、この方法だと”子どもたちの体験”などもやり易いということでした。そして、”押し鉾竹(おしぼこたけ)”で押え、最後に”ガンギ”と呼ばれる道具で表面を整えます。時々、屋根の横から見て、茅屋根の表面が”平”になっているかを確認しながら、細かく”ガンギ”で叩いて調整していました(写真:下右)。
 地面にも一面にかなりの”実”が落ちています(写真:下)が、それでも枝にたくさんの”実”を付けているのは、「商家の町並み」「呉服の店」の裏の「センダン」です。「センダン」の”実”は、秋から冬にかけ黄褐色に熟し、葉が落ちても枝についています。”実”には「サポニン」を多く含んでいるそうですが、樹皮や実は薬としても利用されたり、固い実の核は”数珠”などにも利用されるようです。また、”草木染”の”染料”にも利用できるようです。この季節にもかかわらず、枝についた”実”が目にとまる「センダン」です。

2018年1月19日金曜日

大寒(二十四節気)款冬華(七十二候)1月20日~24日 「藍」を建てています 大寒で春近し

 二十四節気は、”とうとう”「立春」の前の「大寒」です。一年で一番寒い時期でしょうか。七十二候は、「款冬華(ふきのはなさく)」です。「房総のむら」でも、落ち葉の下に「フキノトウ」が”顔”を出していました。「フキノトウ」の近くには、小さな「蕗の葉」も見えます。これらの「フキノトウ」は”雌・雄”どちらでしょうか(この後、花が開くと違うのでわかります)。それはさておき、少し苦みのある「フキノトウ」の”天ぷら”や”味噌”が楽しみです。
 「下総の農家」では、「大豆」を収穫した後の”大豆の枝”の活用です。”カラカラ”に乾燥させて「大豆」を脱穀した”大豆の枝”を細かく刻んで、畑に”すき込み”ます。毎年作物を作り”地力”が衰えた”痩せた畑”に”大豆の枝”を入れて土壌の改良に役立てます。米を脱穀した後の”稲わら”も田や畑にすき込みますが、”大豆の枝”も利用できるのですね。”大豆の枝”の利用方法は、「節分」の時の”イワシの頭”を刺すだけではないのですね。
 「下総の農家」の庭先に、”お正月のお供え餅”が細かく壊されて干されていました。”鏡開き”ですね。これを油で揚げて、醤油をまぶした”あられ”がおいしいのです。
 「商家の町並み」「呉服の店」では、「藍建(あいだて)」の実演に合わせた「藍染」の展示です。下方中央のモニターでは、「藍建」について解説しています。店先には「藍」で色付けすることで、いろいろな模様を描き出した布地や洋服なども展示されています。普通「草木染め」は、色を布に固定させるために”媒染液”を必要としますが、「藍」は”媒染液”を必要としないで布に色を固着させることができます。その染め方には、”生葉”を用いる方法と”醗酵させて乾燥した藍”を「藍建」して使う方法があります。”生葉”を使用するとあまり濃い”紺色”にはならず、また、”新鮮な生葉”がないとできませんので季節が限られてしまいます。
 「藍建(あいだて)」とは、発酵させて乾燥した”藍”は水では溶けなくなるので、”藍”の液が布地に浸透できるように行う”還元作業”です。「房総のむら」には、温度管理ができる「藍甕(あいがめ)」がありますので、そこで「藍建」を行います。昭和62年の「呉服の店」の開店から「藍建」を続けていますが、”よりよい藍の染料”を目指して、今回は新たな挑戦です。まず、藍の葉を乾燥し醗酵させて作られた「すくも」を叩いて細かくして「藍甕」に入れ(写真:上左)、そこに「灰汁(あく)」を入れ棒で突きながら「灰汁」を「すくも」に”食わせます”(写真:上右)。一晩寝かせ、「藍甕」に入り、足でよく練り(写真:下左)、さらに「灰汁」を加えて量を増やします。これで「藍建」は終了になりますが、この後に「藍甕」の中で生きている微生物の”餌”となる「石灰」と「ふすま」と呼ばれる”小麦の表皮の粉”などを入れ1週間ほど発酵させて、「すくも」中の紺色の成分の”インジゴ”をアルカリ溶液の「灰汁」で還元して水溶性にして染色できる状態にします。液面に泡(これを「藍の花」と呼ぶ)が立つと、染料として使うことができるようになります。今回の出来はどうでしょうか?この作業は、かなり難しい作業ですので、結果が楽しみの反面、心配にもなります。
 こちらは、現在染料として使用している「藍甕」です。液面の中央左に見えるのが「藍の華」と呼ばれる”泡”です。このような状態になれば、染料として使えます。しかし、「藍」は生き物ですから絶えず面倒を見なければなりません。なかなか、大変な作業です。
 「商家の町並み」「菓子の店」の体験は、12月の「べっこう飴」作りが終わり、「煎餅焼き」の体験です。「七輪」の”炭火の上”の網に”煎餅の生地”をのせて、自分で”煎餅を焼き”ます(写真:左)。小まめにひっくり返さないと、すぐに焦げてしましますよ。全体に膨れて、少し焦げ目がついたら出来上がりです。焼きあがったばかりの”アツアツ”の「煎餅」に醤油を塗って、海苔を巻いたり、砂糖を絡ませて食べます。”焼きたて”、しかも”自分で焼いた煎餅”ですから、おいしいことまちがいなしの「煎餅焼き」体験です(写真:右)。是非、体験してみしてください。
 「上総の農家」の「竹皮のぞうり」作りです。以前にも紹介したことがありますが、「ぞうり」の素材が「わら」ではなく「竹皮」ですので、履いた時の感触が”固い”感じではなく”やわらかい”感じですから”スリッパ”代わりに”室内履き”にする人もいるのだと思います。
 「上総の農家」の「ソシンロウバイ」は、花がかなり開いてきました(写真:上左)。同じく「上総の農家」「コセリバオウレン」も、花がずいぶん増えてきています(写真:上右)。「武家屋敷」の「茶室」の「紅梅」は、さらに”二輪、三輪”ほころびました(写真:左)。「風土記の丘」の「ロウバイ」も花が開きました(写真:中央上)。枝には、枯れた「ロウバイ」の”実”がまだ残っています(写真:中央下)。「房総のむら」に隣接する「ドラムの里」の「河津桜」も何輪か花が咲いてきました(写真:右)。「大寒」が過ぎれば、次は「立春」春がやってきますが、”花の開花”がそのことを教えてくれているようです。

2018年1月17日水曜日

房総のむらの花だより

 本日は、資料館を出発し、上総の田んぼ、竹林の坂、上総の農家からむらの架け橋を巡り、帰りに武家屋敷を通って戻りました。

●ソシンロウバイは満開になりました。ビワの花は終期を迎えています。
●コセリバオウレンの花はこれから本番を迎えます。今は数株が咲いています。
●樹木の冬芽はそれぞれが個性的な形をしています。
●竹林の坂の途中にヤマコウバシがあります。春先まで枯れた葉がしっかり落ちずに枝に付いています。「受験に落ちない」と縁起を担がれる頼もしい葉です。
●コアカミゴケ(地衣類)が上総の農家の屋根に沢山生えています。その一部がはがれて庭に落ちていました。先端が赤くきれいです。
●クヌギのドングリから根が出て、地面にもぐり始めていました。赤い部分は栄養を蓄えた「葉」に相当します。
●武家屋敷の南側の生垣の土手は、北風をさえぎり陽がよく当たるので、マツヨイグサのツボミが既に出来ていました。その他にも沢山の芽生えが見られました。
●小鳥の姿も沢山見られました。コゲラ、ジョウビタキ、メジロ、セグロセキレイなどです。

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◎以上は、むらの自然ガイドボランティアさんからの写真と記録です。1月12日(金)の観察に基づいています。 (風)


※自然観察会のお知らせ
 自然ガイドボランティアでは、月に一回、土日のいずれかを利用して来館者を対象とした「自然観察会」を開催しています。
 1月は下記の予定で行いますので、興味のある方是非ご参加下さい。
○日時: 1月21日(日)午後1時30分から1時間程度(雨天中止)
○集合場所: 総屋前
○今月のテーマ: 「タケとササ」
○参加費: 無料(むらの入館料必要)

2018年1月14日日曜日

小雪(二十四節気)雉始雊(七十二候)1月15日~19日 加曾利貝塚特別史跡記念ミニミニ展示 「どんど焼き」 茅屋根葺替え 梅一輪

 二十四節気「小雪」の七十二候末候は、「雉始雊(きじはじめてなく)」です。写真は、2年前の初夏に「加曾利貝塚」で撮影した「雉」です。「房総のむら」でなくて申し訳ありません。今回は、千葉市の「加曾利貝塚」を紹介するために、この写真にしました。
 千葉市の「加曾利貝塚」が昨年10月13日付けで国の「特別史跡」に指定されました。「加曾利貝塚」は、開発から守られ昭和46年に国の「史跡」に指定されていましたが、今回は”昇格”して”史跡の国宝”に相当する「特別史跡」に指定されたのです。千葉県は貝塚が日本一、世界一多い地域です。皆さんのお住いの近くにも「貝塚」があるのではないですか?そんな中でも、教科書にも登場する「加曾利貝塚」が一番知られているのではないでしょうか。その「加曾利貝塚」の「特別史跡」指定を記念して、千葉県では「千葉県まるごと加曾利貝塚イヤー」として県内各地で展示会などを開催しています。「房総のむら」では、1月28日まで「風土記の丘資料館」で「加曾利貝塚のミニミニ展示」を行っております。この機会に、「加曾利式土器」がどんなものかご覧ください。
 「上総の農家」の”生活歳時記”「どんど焼き」です。「どんど焼き」は、”小正月”の日に”正月”に使った”門松”や”注連縄”などの”正月飾り”を燃やして、その年の”無病息災”などを祈る行事です。「どんど焼き」(長生郡長柄町など)、「大火焚き」(南房総市山名など)、「お飾り焚き」(市原市菊間など)、「上り正月」(銚子市名洗など)と地域によって呼び方に違いはありますが、各地で行われてきました。”焚いた炎”の熱を浴びると病気にかからないとか、燃やした”書初め”が高く舞い上がると字が上達するなどと言われています(防災の観点から「房総のむら」では紙類を除いています)。また、”その火で焼いた餅”を食べると”風邪”をひかないとも言われます。積み上げられた”やぐら”に火をつけた時には、”やぐら”の周りは霜で白かった(写真:上左)のですが、炎が大きくなるにつれ真っ白な水蒸気に変わりました(写真:上中・上右・中左)。体験者の皆さんは、”先端に餅のついた竹”を持ってかなり下がって”炎”を浴びていましたが、それでもかなりの”熱気”を感じていました。時々、「どーん」と竹が爆ぜる音が聞こえました。”やぐら”が燃え尽きたら、残り火を広げて「餅焼き」です。ほとんど燃え尽きてはいますがそれでもかなりの熱気ですので、「餅」は竹の先に挿して焼きます。皆さんで円陣を組んで「餅焼き」です(写真:中右・下左)。焼きあがった「餅」は、”砂糖醤油”をつけて食べていただきました。体験者のお子様も「おいしい!」と(写真:下右)。これで、皆さん今年も”無病息災”間違いなしですね。届けられた”正月飾り”もすべて焚き上げました。今年も100個の餅は完売でした。
 こちらは、「下総の農家」の「ユウガオ細工」です。”ユウガオ(夕顔)”は「干瓢(かんぴょう)」を作る植物ですが、実の外皮を乾燥させると「瓢箪(ひょうたん)」のように固くなることから、昔からいろいろな生活用具を作る材料にもなってきました。一般的には、「炭入れ」や「花器」などの容器が多かったようですが、栃木県では”魔よけのお面”なども作られてきました。「下総の農家」で採れた野菜を持った体験者の方は、”ランプシェード”にするのだそうです(写真:右=外皮に小さな穴が穿けられています)。やわらなかい”ほのあかり”が目に浮かびます。
 「商家の町並み」「川魚の店」の「なまず料理」です。「なまず」(写真:上左)は、今は”魚やさん”でも見かけませんが、かっては全国で食されていました。日常の食べ物以外にも、”お祝いの時”や、”産後の肥立ち”など”滋養強壮”によいとして食べられる例もありました。食べる時期としては、「なまず」が大きくなりしまってくる冬場がよいとされています。「うなぎ」に比べると、脂も少なくさっぱりした淡泊な味です(写真:上右)。”むらのメニュー”は、印旛沼周辺に伝わる「ひっこがし」(なまずのみそ汁)とフライです(写真:下)。魚の姿からは想像できないあっさりしたおいしさに、「もう一つ食べたい」との”お替り”の注文もいただきました。年に一度の体験ですので、来年もお楽しみに。

 「安房の農家」「茅葺屋根の葺替え」の進捗状況です。「主屋」の正面の”茅の表層の葺替え”も進んできました。古い茅を剥がした後に、”水切り茅(ヨシ)”が一面に敷かれています(写真:上左・上中)。(写真:上右=赤囲いの”茅”)そして、写真下が、その上に一番外(表)になる”茅(シマガヤ)”が軒先から葺かれ始めたところです。(写真:上右=青囲いの”茅”) 

 「下総の農家」と「安房の農家」の間の「スイセン」です。11月17日の「金盞香(きんせんかひらく)(七十二候)(「スイセン」は、白い花冠の中央を飾る濃黄色の盃状の副花冠のようすから、金盞(金の盃)呼ばれたとも)」には咲かなかった「スイセン」が、やっと咲き出しました。 
 「武家屋敷」「茶室」の「紅梅」です。「梅」の花が一輪咲きました。「梅(むめ)一輪一輪ほどの暖かさ(服部嵐雪)」。「大寒(二十四節気)」を前にした寒い冬の日ですが、梅の蕾が”一輪ほころび”、また”一輪ほころび”ながら日ごとに春が近づいて来るのですね。「房総のむら」では、今年最初の「梅」の開花です。

2018年1月13日土曜日

コセリバオウレン

最近、お問い合わせが多いコセリバオウレンの状況をお知らせします。

上総の農家とおまつり広場を結ぶ、むらの架け橋手前の両側に咲いています。
まだたくさんは咲いていませんが、昨日は橋に向かって右の方が目立っているように感じました。
雄花・雌花・両性花があるようですので観察してみてください。


落ち葉に隠れているものもありますので、くれぐれも柵の中には入らないようにお願いします。(マ) 

2018年1月10日水曜日

小雪(二十四節気)水泉動(七十二候)1月10日~14日 「古地図を読み解く」開催中 茅屋根葺替え

 七十二候は、「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」です。漢字だけではわかりにくいですが、この読みならばなんとなくわかる感じです。地中で凍った泉の水が溶けて動き出す頃、だそうです。しかし、毎日寒い日が続き、これからが冬本番のような気がしますが。「水車」は凍り付かず回っており(写真:上)、小屋の中ではその回転運動を上下運動に変えて”杵”が”臼”を突いています(写真:下)。
   例年より遅いようですが、少しづつ”冬の花”が咲き始めています。「上総の農家」の「ソシンロウバイ」(写真:上)「スイセン」(写真:下左)「コセリバオウレン」(写真:下中)と「風土記の丘資料館」近くの「ロウバイ」の状況です。
 「農家」では、秋に畑から”根っこごと”抜いて乾燥させていた「大豆」(写真:上左の中央)の脱穀作業です。 ”豆のさや(鞘)”は、夏に「枝豆」を食べた時には”緑色のやわらかいさや”でしたが、成熟して”カラカラ”に乾燥した後は”茶色でとても固いさや”になっています。「上総の農家」(写真:上左)「下総の農家」(写真:上右)では、”杵”や”棒”で”固いさや”を割って”豆”を取り出していますが(写真:上)(「クルリ棒」と呼ばれる、”叩く”だけではなく”回転力”を利用した道具なども使います)、これだと”豆”が飛び散り”豆”を一粒一粒づつ集めるのが大変です。そこで登場するのが、脱穀した「米」からゴミを取る際にも使用した「唐箕(とうみ)」です。大きな枝や殻(さや)などを取って、送風している「唐箕」に投入します(写真:中左)。すると、軽い”ゴミ”は珠面から飛ばされ、重い”ゴミ”は左側に落ち、”豆”が右側から出てきます(写真:中右)。さらに、”豆”を選別して粒を揃えます(写真:下左)。「笊(ざる)」には、「大豆」がきれいに揃いました。来年も、おいしい「枝豆」を楽しみにしています。おっと、その前に「節分」の「豆まき」がありますね。
 「上総の農家」では、縄をなっていました。「縄」は、いろいろな使い道があります。「わら」は、やわらかく、加工がしやすく、「稲」の収穫でまとまって量が確保できたので、”米をとったあとの稲わら”を捨てないで”再資源化”して「衣食住」などあらゆることに利用してきました。「衣」では「蓑(みの)」「草履(ぞうり)」、「食」では「米俵」「鍋敷き」、「住」では「屋根材」や「壁の補強材」などにも使われました。現代社会に求められる「エコ」の実践ですね。
 「下総の農家」では「むしろ織り」の実演です。「わら(藁)」を使った「むしろ織り」は、江戸時代になると「むしろ編機」が作られ、農家の副業として発達しました。まず、「むしろ編機」に”経紐”になる”細縄”をセットし、”わら”を5本くらいづつを左右から交互に入れ(写真:上)、その都度”細縄”が通された”可動式の重い棒”で、”わら”を押さえながら織り込んでいきます(写真:下)。「機織り」の「おさ(筬)」ですね。
 「古地図を読み解く」① 「風土記の丘資料館」第3展示室では、トピックス展古地図を読み解く-千葉の陸運・水運-」を開催中です。江戸時代、”北総地方”は「江戸」に近く、「成田詣」「三社詣」などで気軽に訪れることができる観光地となりました。「江戸時代の観光と街道」「古地図に見る千葉」のコーナーでは、”古地図”に描かれた交通路などを紹介するとともに、観光ブック的な「利根川図志」や「成田詣にみる陸運」「鉄道と成田周辺の変化」なども紹介しています(写真:上)。展示室の奥の3枚の絵(図)は、「利根川図志」に描かれた「海獺(あしか)の図」「海獺島を望遠鏡で見たる図」「ツクマヒ図」です(写真:下)。
 「古地図を読み解く」② こちらは、「三社詣にみる水運」のコーナーです。徳川家康の「利根川の東遷」により、「利根川」と「江戸川」を利用することで、遭難する危険の多かった”房州沖”を航海しなくても”太平洋”から”江戸”に船で行くことができるようになりました。その結果、「利根水運」を利用して多くの荷物が江戸に運ばれ、流域には「佐原河岸」「木下河岸」などの「河岸」も発達しました。また、同時に「三社詣」に、「陸運」だけではなく「利根水運」を利用する江戸庶民もいました。
 「古地図を読み解く」③ 「房総のむら」では、平成7年から県内の”昔の建物や町並み”が残る地域を見学する「町並み探検隊」を実施してきました。当然、”北総”に位置する「房総のむら」ですので、”佐倉””成田””佐原”などの”北総”地域が多いわけですが、”野田””我孫子””浦安””木下”など「利根水運」に関連した”町並み”も見てきました。平成27年には「北総四都市江戸紀行」が「日本遺産」に認定されましたが、まさに今回展示の”陸運・水運”による”物流””江戸文化の伝播””庶民の小旅行”などがその原点です。
 日本遺産 北総四都市江戸紀行」とは、北総地域は、百万都市江戸に隣接し、関東平野と豊かな漁場の太平洋を背景に、利根川東遷により発達した水運と江戸に続く街道を利用して江戸に東国の物産を供給し、江戸のくらしや経済を支えた。江戸からは庶民も観光旅行に訪れ、江戸文化を取り入れた独自の町が発展した。特に、城下町の佐倉、成田山の門前町成田、利根水運の河岸、香取神宮の参道の起点の佐原、漁港・港町、そして磯巡りの観光客で賑わった銚子の北総地域の四市は、東京近郊にありながら、江戸庶民も訪れた4種の町並みや風景が今も残り、江戸情緒を体感することができる。成田空港からも近いこれらの都市は、世界から一番近い「江戸」といえる。』というものです。ということは、「房総のむら」は、世界から一番近い「江戸」を感じることができる博物館ということになります。(写真:「成田 香取 鹿島 息栖 細見絵図」に江戸から銚子までの街道を赤色で加筆)
 「安房の農家」の”茅葺屋根”の”葺き替え”工事も進んできました。”茅葺”といっても”茅”という植物はなく、「ススキ」「チガヤ」「ヨシ」などの屋根を葺く”草”の総称です。今回の”葺き替え”は、「主屋」の正面と右側(南・東面)の表層の”茅”の交換と、裏面と左側(北・西面)(写真:中右=足場となる丸太が付けられている)の”差し茅”です。まず、屋根の一番上の”棟”が取り除かれました。千葉県では”上総や安房地方”で多く使用されるという、”棟”の両端の逆U字形の”マクラ”も外されました(写真:上左)。”茅屋根の軒先”を下から見上げると、”茅屋根”が1種類の”茅”で葺かれているのではないことがわかると思います(写真:上右)。今回は、この写真の一番上(表層)の”茅”を替えます(表層の茅を剥がしたところ(写真:上中))。古い表層の”茅”が取り除かれた屋根(写真:中左)に”茅”を並べ、一段が終わると「押し鉾竹(おしぼこたけ)」で押えて上に進みます。「押し鉾竹」で押えるためには、”縄”で”建物の竹組”と連結させなければなりませんが、それが写真下です。先端の穴に”縄”を通した”針のおばけ”のような竹棒を屋根の外側から差し込んで(写真:下左)、”ぶ厚い茅屋根”に”縄”を通し内側で竹組に絡ませ(写真:下中)、”縄”を再び茅屋根の外に戻し”茅”を屋根に押し付けるようにして「押し鉾竹」にしっかり結びます。屋根裏を見ると、今回改修した”新しい縄”がわかると思います(写真:下右)。この連続で、下から上に”茅”を葺き上げていきます。なお、”茅葺”には”縄”しか使いません。