2019年2月3日日曜日

立春(二十四節気)東風解凍(七十二候)2月4日~8日 再びの”雪化粧”で小さな”つらら” やや!この”足跡”は? 「むら」の”節分”👹 ”初午”で”小豆飯”と”すみつかれ” 西郷さんも履く”足半” 

 二十四節気は「立春」です。暦の上では”春が来た”ということになります。「房総のむら」では、1月26日に続いて31日の夜にも雪が降り、翌日は大変寒かったのですが、昨日今日は風が少し南向きのようで温かく感じられます。寒中には”雪”が降り、そして春を迎えたらその日のうちに”春一番”が吹くかもしれないとの予報もあるようです。七十二候は、「東風解凍(こちこおりをとく)」です。写真は、「下総の農家」近くの「調整池」の2月1日の様子です。陸の部分には雪が積もっていますが、”厚い氷”は”陽”があまり当たらない一部を残すのみで、水面の大部分では昼間は”薄氷”がある程度になってきました。
 そして、温かくなった2日には、日陰の”雪”はまだ残っていますが、”池の氷”はほとんど解けています。
 1月31日の夜半に降った雪は、昨年度のような大雪とはなりませんでしたが、2月1日の朝にはまだ”雪景色”が見られました。しかし、”雪化粧”はそんなに厚くはありませんでしたので、太陽が高くなるにつれ”あっと”いう間に溶けてしまいました。”茅葺屋根”の「上総の農家」の”母屋”や「農村歌舞伎舞台」の南向きの屋根の”軒先”には小さな”つらら”もできていました(写真:中右)。
 花にも”雪”が被りましたが、ふんわりとした”綿帽子”ではなく、水分をしっかり含んだ”重い雪”が花を覆っていました。”コセリバオウレン”の雪は溶けてしまったようで、大きな水滴がついていました。
 「農村歌舞伎舞台」のある「おまつり広場」の「茶店」横から下る坂道に、横に2つその下に縦に2つの●4つがワンセットなるような奇妙な模様がついています。人間が入った様子もない新雪の上ですから、動物の”足跡”ではないか思うのですが、どんな動物がどちらに向かって動いたかわかりますか。答えは、当ブログにもなんどか登場している”ノウサギ(野兎)(「むら」のピーターラビット)”です。”ノウサギ”は速く走る時、最初に二本の”前足”が時間差で地面に着き、着地したその”前足”で地面を蹴ってその勢いで”後足”が”前足”の前にでて着地するのだそうです。要するに、縦の2つの●は”前足”で、その上の横に2つの●は”後足”の”足跡”ということになります。その時の”ノウサギ”の姿は、私たちが両手を着いて”とび箱”を飛び越えて”マット”に足から着地する姿に似ているようです。ですから、この”ノウサギ”は下方から上方に向かって走っていたわけです。また、”ピーター”の姿が見たいものです。
 2月3日の節分に合わせて、「房総のむら」でも”節分の飾り”を建物の入口に飾りました。「商家の町並み」のほとんどの店では、”大豆の殻”に”ヒイラギ(柊)”と”鰯の頭”などが付いた”ヤイカガシ(焼嗅)”を飾りましたが、特徴のある飾りもあります。「菓子の店」では香取市佐原の”菓子店”の事例を再現しました(写真:上左)。その年の悪い方角の屋根に”竹の棒”を差し出して”目の粗い笊(ざる)”を縛り、その”笊”に”ヒイラギ”や”目刺し”を付けた”大豆の殻”をたくさん差しています。また、「細工の店」では、栄町安食(あじき)の”籠屋”の事例で、”笊”の中に”大豆の殻”と”ヒイラギの葉”を縛って入れています(写真:上右)。「めし屋」の前では、”お父さん鬼”に向かって”豆まき”の体験です(写真:中右)。「武家屋敷」では、”旧久留里藩”の事例に基づいて再現しました(写真:下)。
 「上総の農家」では、根元に”大豆の殻”や”ヒイラギ”などを置き、”長い竹の棒”の先に”大きな目籠”をかぶせた飾りです(写真:上左)。「立春」は”旧暦”では「正月」前後にあたることから「節分」の夜を”年越し”と呼び、”年越しそば”を食べる習慣があるそうです。”年越しそば”に”鰯”、そして”福茶”が並べられた「上総の農家」の”節分の料理”は、大網白里市砂田の「秋葉家」の事例の再現です(写真:上右、中左)。「下総の農家」では、「長屋門」に”節分の飾り”が(写真:中右)、「主屋」の”軒先”には”竹の棒に大きな籠”をかぶせたものを飾り、そして入口の横にも”節分の飾り”が付けられました(写真:下左)。縁側には、”豆まき”の体験のための”豆”が”升”に入れられていますが、大勢の方が体験されたようで座敷の畳の上は豆だらけです(写真:下右)。
 「商家の町並み」の「稲荷境内」では、2月最初の”午(うま)の日(2月2日)”に行われる”お稲荷様のお祭り”「初午」の展示です(写真:上)。もともと”農耕の神”であった”稲荷神”ですが、町場でも”商売繁盛”、”病気平癒”などにご利益があるとされ広く信仰を集めました。”お稲荷様”のお供えは、”大根”と”人参”のほかに定番の”油揚げ”です(写真:上右)。「めし屋」では、「初午の料理」の再現展示です(写真:下)。”初午の日”には、各家庭で決まった料理を食べたようです。再現したのは、野田市関宿の事例で”小豆飯(あずきめし)”と”すみつかれ”です。”すみつかれ”は、”しもつかれ”とも呼ばれ”栃木県の郷土料理”として知られていますが、茨城県や千葉県の”すみつかれ”はその影響を受けたもの考えられます。正月の残りの”鮭”や”節分の炒り大豆”などに”鬼おろし”で作った”大根おろし”に”酒粕”を加えた不思議な食べ物です。少し生臭い感じはしますが、独特の風味があり、”小豆飯”とは合うのかもしれません。
 「上総の農家」で体験をしているのは、フォローアップ研修の高校の英語の先生です。英語の先生ですが、農家の作業に興味をお持ちだそうで、畑の作業を希望していたようですが、あいにくの天気でしたので”むらの災いよけ”作りを体験していただきました。作っていただいたのは、「上総の農家」を守っている木更津市金田地区の”繩つり”に下げる”エビ”です。是非、房総の伝統的な技や年中行事などを英語でどう表現するか研究してください。
 「安房の農家」では、「足半(あしなか)作り」の実演です。”足半”は、”わら”で作った”小さなぞうり”です。”わらぞうり”と比べるとわかると思いますが(写真:上左 左=足半、右=わらぞうり)、”踵”の部分がなく足の半分ほどということで”足半”と呼ばれています(写真:上)。鼻緒も先端についているので、履くと”足の指”と”踵”が地面につきます。ですから、”ぞうり”が足の裏に密着し”指”と”踵”で地面をつかむような感じになります。そんなことから、鎌倉時代以降”いくさ”には必ず使われたそうです。江戸時代には、主に農民や漁民が力仕事の時に使っていたようです。また、”上野の西郷さんの銅像”も”足半”を履いていることはよく知られています。”足半”作りの後ろでは、「安房の農家」の”災いよけ”の準備をしていました(写真:下右)。
 「商家の町並み」「瀬戸物の店」では「製陶(蹴ろくろ)」の実演です。”桜の花びら”の形の器を作っています(写真:上)。その作業を熱心にご覧になっているのは、マレーシアからのお客様です(写真:下左)。この後、「上総の農家」で畳の上に正座をして記念写真です(写真:下右)。日本の伝統的な文化を勉強するには「房総のむら」はいいですよ。是非、帰国したらPRしてください。
 「商家の町並み」「鍛冶屋」では、勉強に来ていた小学生が”鉄の小物作り”の体験です。真っ赤に焼けた鉄を、”金づち”で一生懸命叩いていました。なかなかできない”鍛冶屋の体験”していただきました。
 「風土記の丘エリア」の重要文化財「旧御子神家住宅」の庭の”シモバシラ”にできた”霜柱”です。背の高い茎はほとんど折れてしまいましたが、寒い朝には短くなった茎の下の方に小さいですが”霜柱”がまだ見られます。

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