2019年2月23日土曜日

雨水(二十四節気)霞始靆(七十二候)2月24日~28日 いろいろな”梅”が咲いています ”小正月”で枯れ木にも花(餅花) ”製繩機”に驚き! ”マンサク”咲く

 二十四節気「雨水」の七十二候の次候は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」です。20日の未明に降った雨で、朝日が昇り始めた頃にはうっすらと”春霞”がかかったような景色になりました。朝日を浴びた「総屋」「管理棟」は白く輝き(写真:上)、水滴が付いた枝の先の林も少しかすんでいました(写真:下)。
 「風土記の丘エリア」「水生植物園」の”八重の小さな梅の花”が遠くから見ると”白い霞”と”赤い霞”のように見えなくもありません。花は小さいのですが、かなり密に花が付いているのでそう見えるのだと思います。
「房総のむら」では、1月10日に今年最初の”梅の開花”を確認しました。しかしその後、寒い日、雪の日もありなかなか花は増えませんでしたが、ここ数日温かくなってきて館内各所の””がかなり開いてきました。「水生植物園」の八重の”白梅”と”紅梅”の近景です(写真:上)。「水車小屋」横の”紅梅”や「下総の農家」の”白梅”も咲き始めました(写真:中)。「風土記の丘エリア」では、「旧平野家住宅」の”ピンク色の梅”、対照的に「旧御子神家住宅」の”緑っぽく見える梅”も咲き始めています(写真:下)。
 ”梅の花”もよく見ると違いまあります。”梅の花”は、一般的には”花弁”が5枚(写真:上左2枚)ですが、中には6枚の花もあります(写真:上右2枚)。また、”花弁”そのものも丸っぽい花もあります(写真:上左から2枚目)。”八重”の白い花に、”雌しべ”が2本のものがありました(写真:2段目左2枚)。「旧平野家住宅」と「旧御子神家住宅」の全体がピンク色の花(写真:中3枚目)と緑っぽい花(写真:中右)を拡大しました。”雄しべ”の一部が”弁化”した花もあります(写真:3段目左から2枚目の白梅、最下段左から2枚目の紅梅)。”紅梅”の中に花びらが7枚の花がありました(写真:最下段:左)。梅もいろいろの種類があるようです。これからは、「武家屋敷」と「上総の農家」の”梅園”の花が見頃となります。ちょっと変わった花も見られると思います。是非、ご覧ください。
 2月19日は旧暦の1月15日(小正月)でしたので、「上総の農家」と「安房の農家」では「小正月飾り」の展示を行いました。”小正月”とは、1月1日の”大正月”に対する呼び方で、月の満ち欠けによる”旧暦”では満月となる15日が区切りで”新たな始まり”と考えていたことから”小正月”として”新年”を祝いました。「上総の農家」では、”神棚”に”餅”を付けた”ウメ(梅)の木”を飾り、”神棚”のある座敷には”ナラ(楢)の木”に”餅”を付けた”キワタ(木綿)”を飾りました(写真:上左)。また、”ヤナギ(柳)の棒(ホックリ棒)”で”小豆粥”をかき混ぜ、”ホックリ棒”に”粥”がどれくらい付くかで豊作を占いました(写真:中左)。”神前”には、”餅”をのせた”小豆粥”とともに”粥が付いたホックリ棒”と”12膳分の箸”もお供えしました(写真:中右)。”かって(勝て)”にも、家族用の”膳”を展示しました(写真:中右)。「上総の農家」のモデルである大網白里市「秋葉家」の行事の再現です。「安房の農家」では、南房総市旧三芳村の事例の再現で”ワタダンゴ(綿団子)”を作りました(写真:下左)。”ちぎったような紅白の餅”(写真:下右)を”イボタノキ(疣取木)”に花が咲いたように付ける作業は、来館者の皆さんに体験していただきました(写真:下左)。
 「商家の町並み」「木工所」では、「樽作り」の実演です。今回の実演では、「商家の町並み」の店先などに置かれている”手桶”を直していただきました。来館者の皆さんが、”打ち水”などの体験をしているあの”手桶”です。中には、開館以来使用している”桶”もあるようで、これまでも直しながら使ってきましたが、水が漏ってきましたので”タガ(箍)”を締め直していただきました。また、今回新たに新調した”樽”を使って、早速”漬物”を作ってみました(写真:下右)。ポリバケツで漬けるのとは違った、ほのかに木の香りのするおいしい”漬物”ができました。しかし、木製の”樽”は管理が大変ですよね。”酒樽”や”醤油樽”なども木製の”樽”は少なくなってきているようですが、木製の”樽”には昔ながらの味がありますね。
 「農家」では、”農作業”の合い間に手作業で”縄綯い”を行います。昔ながらの農作業には、”稲わらで作った繩”は必要不可欠の消耗品です。しかし、一年間の”農作業”に必要な”縄”をすべて手作業で作ることは大変な作業です。単純な作業のように見えますが、手のひらをうまく使う”熟練の技”と”経験”が必要ですし、しかも長時間同じ姿勢での作業はかなりの重労働です。機会があったら、皆さんも”繩綯い”を体験してみてください。
 そこで、発明されたのが「製繩機」です。佐賀県の農家に生まれた「宮崎林三郎」氏が「繩ない機こそが農家に幸福と利益を与える」と、盲目にかかわらず8年がかりで完成させ明治38(1905)年に”特許”を取ったのが世界初の「製繩機」とされています。その後、「製繩機」は各地に普及し、多くの会社が改良を重ね、初めは”足踏み式の人力”によるものでしたが、戦後には動力式のものも作られています。しかし、昭和30年代後半には”石油化学製品の縄や紐”が増え、”稲わらの縄”の需要が減少し「製繩機」の製造も終わったようです。「製繩機」については、昨年の「穀雨 霜止出苗(4月25日~)」で一度紹介したことがありますが、「下総の農家」で「製繩機」で”縄”を綯っている様子をご覧になっていた方がこの機械に大変興味を示し、最後には「今日一番の驚きだ」と感動してくれましたので、再び紹介することとしました。”稲わら繩”は手作業の場合、”わら”を”よじり”、”ねじり”、さらに”引っ張る”作業を連続することで綯っていきますが、足踏みの人力で”歯車丸出し”のこの「製繩機」がその作業をやってくれるのですから、見ている方の感動もうなづけます。「房総のむら」には3台の「製繩機」がありますが、どれも”足踏み式”で構造はよく似ています。「上総の農家」は「田中式製繩機」(写真:左)、「下総の農家」は「サトー式製繩機」(写真:右)です。時々、「足踏み式製繩機」で”繩綯い”を実演していますのでご覧ください。”繩綯い”の手作業を忠実に再現するこの機械は、優れものです。
 「水車小屋」でも、大きな”歯車”が”いい仕事”をしています。「房総のむら」の「水車」は、流れ落ちる水で中央に軸の付いた”大きな輪(羽根車=水車)”を回転させて水のエネルギーを取り出し、その”動力”を使って”臼に杵を搗く”作業をしています。「水車小屋」の大きな”歯車”は、取り出した”動力”の回転方向を変えながら”動力”を伝え、最終的にはその”動力”で”臼”の上に設置された”杵”を持ち上げます。「水車」は、江戸時代から”精米”や”製粉”に使われてきましたが、最近は見かけなくなったようです。
 「風土記の丘」の「弥生時代の竪穴住居」の復元作業が進められていますが、右奥の「古墳時代の竪穴住居」でも”燻蒸”が行われていました。”茅葺の民家”と同じで”茅葺屋根”の「竪穴住居」でも、”建物”を長持ちさせるためには”燻蒸”は欠かせない作業です。”屋根の茅”を除去した解体中の古い建物も、部材が黒く”煤”けているのがわかると思います(写真:下左)。そして、部材を固定させるのに釘を使わない”竪穴住居”では、民家の”茅葺屋根”と同じように部材の緊結には”繩”を使います(写真:下右)。
 春を告げる花は”ロウバイ(蝋梅)”など黄色い花が多いようですが、「めし屋」近くの”マンサク(万作)”が黄色の花を咲かせました(写真:上)。他では既に咲き出しているようなですが、「房総のむら」でもやっと咲きました。少し高いところで咲いていますので、見にくいかもしれません。「風土記の丘」の”ヤブツバキ(藪椿)”です(写真:下)。全体に淡い色の春の景色の中で、春の陽射しを反射する”濃い緑色の葉”の間に”深紅の花びら”と中央の”雄しべ先端の黄色”が際立っていました(写真:下)。

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