2019年2月28日木曜日

寒暖上手 二十


二月以後の日、外は雨です

突然ですが、哺乳類の中には


ヒトやゾウ、サイのように体毛が薄い動物がいます

イヌやネコ、サルなどのように、毛皮で覆われているのと対照的です

マンモスは濃い体毛だったのに、なぜ現生のゾウは体毛は薄くなったのでしょうか


体毛には、外圧や紫外線からの皮膚の保護、保温効果などがあります

ヒトは、他の類人猿とは異なる生活、行動をする中で

次第に体毛が薄くなってきたのではないでしょうか


ところで、イヌの毛並みを観察すると、毛の生えている向きに水が流れることもわかります


そのため、体毛が薄いヒトは、今日のような雨の日、傘をさしたり、レインコートを着なくてはなりません



このような雨具の中で、古くから使われていたのが「蓑」です

外から見ると、ワラをかぶっているだけのように見えますが

内側には、腕をとおす仕組み、通気性と外形を保つ網状の仕組みなど

簡素でありながら、機能性を重視した作りとなっています(や)

雨水(二十四節気)草木萌動(七十二候)3月1日~5日 春の訪れ🌱 ”綱つり・鹿島人形・大蛇”で”災いよけ” ”オオイヌノフグリ” ”ユキヤナギ” 鳥たちの水浴び🐣 ”河津桜”🌸

 「寒い」、「雪」だといっていたのですが、少しづつ日も伸び暖かくなり、気が付けば3月になります。「雨水」の末候の七十二候は、「草木萌動(そうもくめばえいずる)」です。春の訪れを感じさせてくれる”フキノトウ(蕗の薹)は、「大寒 款冬華(1月20日)」には固い蕾だったのですが、この時期になると花が顔を出しています。まわりの葉の先端が丸い”フキの葉”になっている個体がありました(写真:下)。
 枝の先に”ふかふかの毛”で被われて暖かそうな”花芽”から、春の訪れを告げる白い花が咲きます。”ハクモクレン(白木蓮)”は、”ふかふかの毛の帽子”を3重に被っているそうで、今は2枚目の帽子を上空に向かって脱いだところでしょうか(写真:左)。横を向いている”コブシ(辛夷)”は、暖かい毛に包まれた”花芽”が破れて筆の穂先のような花が見え始めました(写真:右)。もうすぐ白い花が見られると思います。
 ”アジサイ(紫陽花)”も活動を開始したようです。”アジサイ”の”冬芽”は、”コブシ”のような暖かい毛に被われることもなく”裸”のようで寒そうでしたが、新しい葉がでてきました。
 「雨水 土脉潤起(2月19日~)」に続き、新しく交換した”災いよけ”の続報です。今回は、「上総の農家」と「安房の農家」が担当した”災いよけ”の紹介です。「房総のむら」に「大木戸」から入館された方が「農家」に向かって歩き出して、最初に目に入るのが「上総の農家」の手前に何やらいろいろなものがぶら下がった”縄”でしょう(写真:下左)。これは、「東京湾アクアライン」の千葉県側陸地の木更津市金田地区の”綱つり”を再現展示したものです。”左綯いの縄”にワラで作った”海老”、”蛸”、”男女のかしま人形”、”タワシ”に”お札”や”サイコロ”がぶら下がっています。”蛸”は”災い”を吸い、”かしま人形”は”災い”を追い払い、”タワシ”で洗い”むら”が平和で栄えることを願います(写真:上)。「安房の農家」では、鴨川市打墨地区の”綱つり”の事例です。こちらでは、”縄”に”わらじ”、”わらぞうり”、”杉の葉を挿した瓢箪”、”唐辛子を挟んだツットコ”と”お札”が下げられています(写真:下右)。
 「水車小屋」近くの谷には、いろいろな”災いよけ”が再現展示されています。”ワラ”で作られた等身大の”武者人形男女一対”の”かしま人形”は、袖ケ浦市阿部地区の事例です。すだれ状に編んだ”ワラの衣”をまとい、”桟俵の鐔”の竹の刀を二本差し、手には”男人形(写真:右=頭に髷)は袖がらみ”を、”女人形(写真:左)は薙刀”を持ち両手をひろげて立ちはだかっています。「災いは通さないぞ!」
 こちらは、南房総市和田町仁我浦地区の3例の”綱つり”の再現展示です。仁我浦地区では、上台(写真:下左)、中台、下台(写真:下中)、橋の下(写真:下右)の4つの地区ごとに、”むら境”に”流行り病”など悪いものが入らないように”御神酒”をかけた”大蛇”を飾ります。ワラで作られる1.9mほどの”大蛇”の頭部は”三つ編み”の要領で作りますが、胴部は”三つ編み”(下台、橋の下)と”ゴボウジメ”(上台)と違い、さらに胴部から下げる”ぞうり”、”桟俵”、”タワシ”、”サイコロ”、”お札”の有無によって違いがあります。「ノロウイルスやインフルエンザが入ってきませんように」
 「上総の農家」の「果樹園」では、梅の花が咲き「梅園」が解放された隣で「果樹の手入れ(柿)」の「わざ指南道場」が行われていました。初めに指導者の「宮﨑 弘」から”柿”の木の剪定の説明を受け(写真:上)、その後にそれぞれが剪定作業を行っていました(写真:下)。しかし、枝を見て考えながらで難しそうです。「宮﨑」さんの説明で驚いたのですが、柿の花は一般的には”雌花”だけが咲き、”雄花”が咲く種類は少ないのだそうです。そして、”柿”は受粉しなくても実が大きくなるのだそうです。ですから、”柿”を生産する畑では”受粉樹”と呼ばれる”雄花”が咲く木を植えるところもあるのだそうです。知りませんでした。そこで、”柿”の剪定ですが、”柿”の実は前年度に伸びた枝から出る新しい枝にできるのだそうで、その枝の見極めと葉に光がよくあたるようにすることが重要のようです。”柿”の剪定も難しいようです。さすがにこれは「わざ指南道場」レベルですね。「上総の農家」の”柿”は、一昨年はたくさん実がついたのですが、昨年はあまり実がつきませんでした。”柿”にはよく見られる「隔年結実」という現象のようすが、今年はどうでしょうか。
 ”雄花”と”雌花”があるといえば、「上総の農家」近くのに”コセリバオウレン(小芹葉黄連)”ですね。「房総のむら」では、”雄しべ”だけの真っ白な”雄花”とそこに”雌しべ”が混じった”両性花”は見られるのですが、”雌しべ”だけの花は確認していません。昨年の12月16日に今シーズン最初の開花を確認した”コセリバオウレン”ですが、花が終わった株も目立つようになってきました。春の花が咲き始めて、そろそろ”冬の妖精””コセリバオウレン”の見頃は過ぎそうです。この花だけを目的に遠くから来館させる方もいらっしゃいますが、お急ぎください。
 ということで、春を待っていた小さな花もすこしづつ増えてきています。”オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)”は、花がかなり増えてきました(写真:上)。近くに”ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)”(写真:下左)と”ホトケノザ(仏の座)”(写真:下中)も咲いていました。田んぼのまわりでは、”ナズナ(薺)の白い花が咲いていました(写真:下右)。
 重要文化財「旧御子神家住宅」前の「むら」の”鳥のプール”には、たくさんの鳥たちが集まっていました。プール中央の”ヤマガラ(山雀)”が両サイドで水浴びする”シジュウカラ(四十雀)”を見ています(写真:上左)。そして、次は自分の番と、”ヤマガラ”も”シジュウカラ”の前で水浴びです(写真:上右)。”シジュウカラ”と”メジロ(目白)も交互に水の掛け合いです(写真:中左2枚)。その”メジロ”がプールサイドにやってきた”エナガ(柄長)”に両翼を広げています(写真:中右)。”エナガ”は場所を移って”シジュウカラ”の前で水浴びをしましたが(写真:下左)、”シジュウカラ”にも「あっちへ行け」とばかりに一方の翼を広げられました(写真:下中)。(ほんとかな?) 最後は、同じく「風土記の丘エリア」の”紅梅・白梅”の花が咲く「水生植物園」からですが、ほとんど花が咲かなくなった”梅の木”にたくさんの”アオジ(青鵐)”が集まって”苔むした木”をつついていました(写真:下右)。
 「茶室」をたずねると、床の間に”桃の花”と”菜の花”が活けられていました。「房総のむら」では、まだ”桃の花”は咲いていませんが、”雛祭り”が近いので”桃の花”だそうです。”軸”は「一華開五葉(いっかごようひらく)」、難しい解釈はともかく”花が開く”ということで季節感のある吉祥句ですね。庭先の”紅梅”を見ながら、「茶の湯・お点前」の体験はいかがですか。館内の”梅”は、日ごとに花が増えてきています(写真:右上)。「旧平野家住宅」の”ユキヤナギ(雪柳)”が数輪ですが花をつけていました(写真:右下)。
 「房総のむら」に隣接する栄町の「ドラムの里」の早咲き桜、”河津桜”です。”お花見”にはまだ早いかもしれませんが、こちらも少しづつ花が増えてきています。昭和30年に発見され、昭和49年に”河津桜”と命名されたそうですが、まだ発見から60年ほどだというのにその広がりはすごいですね。昔ながらの”ソメイヨシノ”などの桜が咲く前に、桜の花が見られるのがうれしいですね。

2019年2月27日水曜日

房総のむらの花だより

 本日は、資料館を出発して、上総の田んぼ、竹林の坂、上総の農家、むらの架け橋、おまつり広場、下総の農家を巡り、帰りに資料館連絡通路の周りを観察しました。


●冬を葉の状態で過ごす草で「根生葉」と言われるものがあり、その姿がバラの花の形を連想させるため「ロゼット」とも言われます。ただし、バラの花の形ではない種類もありますが、広い意味で「ロゼット」と表現されます。今日は、その姿の写真を多く撮りました。

●コセリバオウレンの花が今最盛期です。今年は花つきが特に良いようです。

●木々の冬芽が大きくなってきました。コナラをはじめコナラ属の冬芽は、先端から見ると五角形になるのが特徴です。カシワ、クヌギ、ウバメガシ、アカガシ、アラカシ、シラカシなどがコナラ属です。

●フデリンドウが3cmくらい立ち上がっています。小さなツボミが見え始めました。4月が開花時期です。


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◎以上は、むらの自然ガイドボランティアさんからの写真と記録です。2月22日(金)の観察に基づいています。 (風)



※自然観察会のお知らせ
 自然ガイドボランティアでは、月に一回、土日のいずれかを利用して来館者を対象とした「自然観察会」を開催しています。
 3月は下記の予定で行いますので、興味のある方是非ご参加下さい。

○日時 : 3月17日(日)午後1時30分から1時間程度(雨天中止)

○集合場所 : 総屋前

○今月のテーマ : 「春の妖精(スプリング・エフェメラル)の少しだけのご案内」

○参加費 : 無料(むらの入場券必要)

2019年2月23日土曜日

雨水(二十四節気)霞始靆(七十二候)2月24日~28日 いろいろな”梅”が咲いています ”小正月”で枯れ木にも花(餅花) ”製繩機”に驚き! ”マンサク”咲く

 二十四節気「雨水」の七十二候の次候は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」です。20日の未明に降った雨で、朝日が昇り始めた頃にはうっすらと”春霞”がかかったような景色になりました。朝日を浴びた「総屋」「管理棟」は白く輝き(写真:上)、水滴が付いた枝の先の林も少しかすんでいました(写真:下)。
 「風土記の丘エリア」「水生植物園」の”八重の小さな梅の花”が遠くから見ると”白い霞”と”赤い霞”のように見えなくもありません。花は小さいのですが、かなり密に花が付いているのでそう見えるのだと思います。
「房総のむら」では、1月10日に今年最初の”梅の開花”を確認しました。しかしその後、寒い日、雪の日もありなかなか花は増えませんでしたが、ここ数日温かくなってきて館内各所の””がかなり開いてきました。「水生植物園」の八重の”白梅”と”紅梅”の近景です(写真:上)。「水車小屋」横の”紅梅”や「下総の農家」の”白梅”も咲き始めました(写真:中)。「風土記の丘エリア」では、「旧平野家住宅」の”ピンク色の梅”、対照的に「旧御子神家住宅」の”緑っぽく見える梅”も咲き始めています(写真:下)。
 ”梅の花”もよく見ると違いまあります。”梅の花”は、一般的には”花弁”が5枚(写真:上左2枚)ですが、中には6枚の花もあります(写真:上右2枚)。また、”花弁”そのものも丸っぽい花もあります(写真:上左から2枚目)。”八重”の白い花に、”雌しべ”が2本のものがありました(写真:2段目左2枚)。「旧平野家住宅」と「旧御子神家住宅」の全体がピンク色の花(写真:中3枚目)と緑っぽい花(写真:中右)を拡大しました。”雄しべ”の一部が”弁化”した花もあります(写真:3段目左から2枚目の白梅、最下段左から2枚目の紅梅)。”紅梅”の中に花びらが7枚の花がありました(写真:最下段:左)。梅もいろいろの種類があるようです。これからは、「武家屋敷」と「上総の農家」の”梅園”の花が見頃となります。ちょっと変わった花も見られると思います。是非、ご覧ください。
 2月19日は旧暦の1月15日(小正月)でしたので、「上総の農家」と「安房の農家」では「小正月飾り」の展示を行いました。”小正月”とは、1月1日の”大正月”に対する呼び方で、月の満ち欠けによる”旧暦”では満月となる15日が区切りで”新たな始まり”と考えていたことから”小正月”として”新年”を祝いました。「上総の農家」では、”神棚”に”餅”を付けた”ウメ(梅)の木”を飾り、”神棚”のある座敷には”ナラ(楢)の木”に”餅”を付けた”キワタ(木綿)”を飾りました(写真:上左)。また、”ヤナギ(柳)の棒(ホックリ棒)”で”小豆粥”をかき混ぜ、”ホックリ棒”に”粥”がどれくらい付くかで豊作を占いました(写真:中左)。”神前”には、”餅”をのせた”小豆粥”とともに”粥が付いたホックリ棒”と”12膳分の箸”もお供えしました(写真:中右)。”かって(勝て)”にも、家族用の”膳”を展示しました(写真:中右)。「上総の農家」のモデルである大網白里市「秋葉家」の行事の再現です。「安房の農家」では、南房総市旧三芳村の事例の再現で”ワタダンゴ(綿団子)”を作りました(写真:下左)。”ちぎったような紅白の餅”(写真:下右)を”イボタノキ(疣取木)”に花が咲いたように付ける作業は、来館者の皆さんに体験していただきました(写真:下左)。
 「商家の町並み」「木工所」では、「樽作り」の実演です。今回の実演では、「商家の町並み」の店先などに置かれている”手桶”を直していただきました。来館者の皆さんが、”打ち水”などの体験をしているあの”手桶”です。中には、開館以来使用している”桶”もあるようで、これまでも直しながら使ってきましたが、水が漏ってきましたので”タガ(箍)”を締め直していただきました。また、今回新たに新調した”樽”を使って、早速”漬物”を作ってみました(写真:下右)。ポリバケツで漬けるのとは違った、ほのかに木の香りのするおいしい”漬物”ができました。しかし、木製の”樽”は管理が大変ですよね。”酒樽”や”醤油樽”なども木製の”樽”は少なくなってきているようですが、木製の”樽”には昔ながらの味がありますね。
 「農家」では、”農作業”の合い間に手作業で”縄綯い”を行います。昔ながらの農作業には、”稲わらで作った繩”は必要不可欠の消耗品です。しかし、一年間の”農作業”に必要な”縄”をすべて手作業で作ることは大変な作業です。単純な作業のように見えますが、手のひらをうまく使う”熟練の技”と”経験”が必要ですし、しかも長時間同じ姿勢での作業はかなりの重労働です。機会があったら、皆さんも”繩綯い”を体験してみてください。
 そこで、発明されたのが「製繩機」です。佐賀県の農家に生まれた「宮崎林三郎」氏が「繩ない機こそが農家に幸福と利益を与える」と、盲目にかかわらず8年がかりで完成させ明治38(1905)年に”特許”を取ったのが世界初の「製繩機」とされています。その後、「製繩機」は各地に普及し、多くの会社が改良を重ね、初めは”足踏み式の人力”によるものでしたが、戦後には動力式のものも作られています。しかし、昭和30年代後半には”石油化学製品の縄や紐”が増え、”稲わらの縄”の需要が減少し「製繩機」の製造も終わったようです。「製繩機」については、昨年の「穀雨 霜止出苗(4月25日~)」で一度紹介したことがありますが、「下総の農家」で「製繩機」で”縄”を綯っている様子をご覧になっていた方がこの機械に大変興味を示し、最後には「今日一番の驚きだ」と感動してくれましたので、再び紹介することとしました。”稲わら繩”は手作業の場合、”わら”を”よじり”、”ねじり”、さらに”引っ張る”作業を連続することで綯っていきますが、足踏みの人力で”歯車丸出し”のこの「製繩機」がその作業をやってくれるのですから、見ている方の感動もうなづけます。「房総のむら」には3台の「製繩機」がありますが、どれも”足踏み式”で構造はよく似ています。「上総の農家」は「田中式製繩機」(写真:左)、「下総の農家」は「サトー式製繩機」(写真:右)です。時々、「足踏み式製繩機」で”繩綯い”を実演していますのでご覧ください。”繩綯い”の手作業を忠実に再現するこの機械は、優れものです。
 「水車小屋」でも、大きな”歯車”が”いい仕事”をしています。「房総のむら」の「水車」は、流れ落ちる水で中央に軸の付いた”大きな輪(羽根車=水車)”を回転させて水のエネルギーを取り出し、その”動力”を使って”臼に杵を搗く”作業をしています。「水車小屋」の大きな”歯車”は、取り出した”動力”の回転方向を変えながら”動力”を伝え、最終的にはその”動力”で”臼”の上に設置された”杵”を持ち上げます。「水車」は、江戸時代から”精米”や”製粉”に使われてきましたが、最近は見かけなくなったようです。
 「風土記の丘」の「弥生時代の竪穴住居」の復元作業が進められていますが、右奥の「古墳時代の竪穴住居」でも”燻蒸”が行われていました。”茅葺の民家”と同じで”茅葺屋根”の「竪穴住居」でも、”建物”を長持ちさせるためには”燻蒸”は欠かせない作業です。”屋根の茅”を除去した解体中の古い建物も、部材が黒く”煤”けているのがわかると思います(写真:下左)。そして、部材を固定させるのに釘を使わない”竪穴住居”では、民家の”茅葺屋根”と同じように部材の緊結には”繩”を使います(写真:下右)。
 春を告げる花は”ロウバイ(蝋梅)”など黄色い花が多いようですが、「めし屋」近くの”マンサク(万作)”が黄色の花を咲かせました(写真:上)。他では既に咲き出しているようなですが、「房総のむら」でもやっと咲きました。少し高いところで咲いていますので、見にくいかもしれません。「風土記の丘」の”ヤブツバキ(藪椿)”です(写真:下)。全体に淡い色の春の景色の中で、春の陽射しを反射する”濃い緑色の葉”の間に”深紅の花びら”と中央の”雄しべ先端の黄色”が際立っていました(写真:下)。

2019年2月22日金曜日

寒暖上手 十九


今日は、商家の町並み そば屋で、一年に一度の「干しうどん」の実演です

江戸時代には、干しうどんを売るそば屋が多くあったそうで

現在の市川市行徳にあった「笹屋」という店の名物でした

生地を延ばしていると、町並みを散策する紳士の姿が目に入りました

北アイルランドからお越しのディビッドさんです

お声掛けをしてみたところ。俄然やる気を出し

上着を脱いで麺棒をつかみ、見事な手さばきでうどん作りに挑戦です

包丁を握る姿も絵になっています

初めての体験だということでしたが、上手に切れたうどんを干しました

一年に一度は日本にいらっしゃるとのことで

また、房総のむらにお越しいただければ幸いです(や)

2019年2月19日火曜日

寒暖上手 十八


2月18日のブログにも さかえリバーサイドマラソン2019 の

画像を掲載してありますが

房総のむらもコースとなり、2千5百人を超えるランナーが走り抜けました

マラソンといえば、冬のスポーツというイメージがありますね


ところで、今でこそスポーツと呼んでいるものも

日本では、順位を競う競技として育まれたものではなかったようです

いわゆる「武道」であったり、子供たちの「あそび」であったりしたものです


その中で「走る」ことは、江戸時代の飛脚が思い当ります

人が走ったり、馬を使った飛脚は、遠方への重要な情報伝達の手段でした

情報伝達の重要性は、奈良時代には認識されていて

当時の30里(約16キロメートル)ごとに「駅」を設置し、「馬」を置くことが決められています

「駅」の間を「伝馬」で情報を送り伝えることから、「駅伝制」と呼んでいます

「駅伝」? 現代にもそんな言葉がありましたね

そうです、現在の駅伝は、律令制度の「駅伝制」を参考に名づけられたものでした


さて、リーバサイドマラソンのランナーにも、当館職員が熱い声援を送りました(や)

2019年2月18日月曜日

雨水(二十四節気)土脉潤起(七十二候)2月19日~23日 「柳家三三」師匠登場 「むら」を守る”綱つり・辻切り” ”おびしゃ”で今年はどんな年 ”ビックりひなまつり” ”いだてん”走る

 二十四節気は「雨水」に進み、降っても”雪”から”雨”となり、七十二候は「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」で、雨が降って湿り気を含み草木が芽吹き始める頃になります。15日には今シーズン5度目になりますが、小雪も舞いましたがこれで”雪”はおしましでしょうか。この頃になると、地上に落ちた”どんぐり”の中には根を出しているものもあります。この芽をご自宅で育ていただき、半年後に「房総のむら」の林に植樹していただいているのが「立春 黄鶯睍睆(2月9日~)」で紹介した「緑の里親(どんぐりの木を育てよう)」です。
 今年三回目の「房総座」は、「柳家三三」師匠の登場です。「総屋」二階の会場は、ほぼ満員のお客さんです。今回の”出し物”は、”一席目”が侍が船縁で”煙管”を叩いた拍子に”雁首”が川の中に落ちるところから始まる「岸柳島」と、”賽子博打”で”笊”の外に”ぴんの目(賽子の目が一)”の”賽子”がある「看板のぴん」でした。二席目は雪の日が多かったことに引っかけてか、”雪見酒”で寝てみた夢の話の「橋場の雪」でした。いつものように、リズミカルで軽妙な語り口にお客さんも満足のようでした。しかし、お客様から「カメラのシャッター音がうるさい」と苦情がありました。大変申し訳ありませんでした。”まくら”の部分で記録、広報用の写真を撮っているわけですが、「三三」師匠の”噺”を聞くお客様にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
 館内のあちこちに展示してある”災いよけ”は、「房総のむら」では一年に一度新しいものと交換していますが、その交換の時期です。「下総の農家」では、印西市本埜龍腹寺の”辻切り”を再現展示しています(写真:上)。”大ムカデ”をかたどった”毛羽立った太い綱”の中央に寺の”お札”を挟んだ”ヌルデの枝”と”榊”、”篠竹”を刺して”五穀豊穣”を祈り、”むらの入口”に吊るします(写真:下左)。その近くの、「庚申塔」の”しめ縄”も新しくなりました。これは、匝瑳市八日市場西小笹地区で2月に行われている”オデイハンヤ”の再現展示です。子どもたちが”細いしめ縄”を七回り半巻いた上に太い”ゴボウジメ”をつけた”大般若経”の入った”経箱”を担いで、地区の各戸を回り”無病息災”を祈ります。そして各戸を回りおわると、”経箱”の”しめ縄”を”サト(むら境)”の「庚申塔」に巻きつけますが、その様子を再現展示しています(写真:下右)。
 大きな”わらぞうり”は、富津市関尻地区の”綱つり”の再現展示です(写真:上)。昔は、2月の初めての雨の日に行われたそうです。大きな”ぞうり”は、「この”むら”にはこの”わらぞうり”を履く”巨人”が住んでいるとか、疫病神にこの”ぞうり”を履いて帰ってもらうため」といわれています。”綱”に挟み込まれた”杉の葉”と”炭”は、「私の”むら”の”災い”は”過ぎ(杉)”ました。”済み(炭)”ました。」と”門前払い”するためで、しかし”災い”を”門前払い”したままでは後々もっと祟ると怖いので”酒樽”の酒を振る舞い新しい”ぞうり”を履いて帰ってもらうという願いが込められているそうです。下は、”辻切り”の再現展示です。八千代市上高野(写真:下左)や佐倉市井野(写真:下右)では、”むら”に悪疫が侵入しないように”むらの境”の木に”わら”で作った”大蛇”を縛り付けます。蛇の背中には魔よけに”ヒイラギ”が付けられ、目や舌は”赤トウガラシ”などが使われています。前回(「立春 魚上氷」)の”災いよけ”の体験でも紹介したように、「下総の農家」の入口の”小蛇”も新しくなりました(写真:中右)。
 「上総の農家」では、大網白里市萱田地区の「おびしゃ」の”的”や”矢”の再現展示と体験を行いました(写真:上)。「おびしゃ」は、主に関東地方で行われてきた春の行事です。中でも千葉県北・中地域は、「おびしゃ」が盛んに行われていました。年の始めの1月から2月にかけて、”弓”を射てその年の作物の作柄など”神意”を占う”予祝行事”です。来館者の皆さんにも、”弓”で”矢”を射ていただきました。お父さんは3本中2本が”的中”です(写真:下左2枚)。お父さんの指導で、お嬢さんも体験です(写真:下右)。
 「下総の農家」でも「おびしゃ」の展示です。あれ?「おびしゃ」は、”弓を射て”その年の作柄などを占う行事では?そうなんです。本来の「おびしゃ」は、”弓を射て”行う”予祝行事”とそれに付随する”当番の引継ぎ”、そして集まった人たちの”共同飲食”という三つから成り立っていましたが、「下総の農家」の展示は”引継ぎ”と”飲食”の部分が残った香取郡多古町の事例なのです。しかも、多古町周辺の「おびしゃ」は男女別々に行われるそうで、展示した事例は”子孫繁栄”を願って女性だけで行われた「女おびしゃ」です。”御神体”である”鬼子母神”の”掛け軸”や”供物”を飾り、飲食とともにめでたい歌(「下総の農家」には”歌”が流れていました)を歌い”当番の引継ぎ”を行います。「おびしゃ」には、このほかに”にらめっこ”をしたり、”酒を飲み比べ”たりする地域もあります。
 「立春」も過ぎ、今年もそろそろ”お雛様”を飾る時期になってきましたので、「房総のむら」でも恒例になってきました「ビックりひなまつり」の展示を16日から始めました。3月10日までご覧いただけます。「農村歌舞伎舞台」に”七段飾り”に合わせて、最上段には”内裏雛”、二段目に”三人官女”、三段目が”五人囃子”、四段目に”随人”、五段目に”衛士”、六段目と最下段には”道具類”を並べました。この”お雛様”は、なかなかご家庭では飾ることができなくなったものを皆様から提供されたものです。”お雛様”飾りの前に並んだのは、お雛様を飾った「房総のむら」”のスタッフ(「むら」のお雛様?)です(写真:下右)。
 「総屋」には”親王飾り”です。”段飾り”が盛んになったのは”江戸時代の元禄期”頃からのようで、それ以前は”お内裏様”と”お雛様”を並べた”親王飾り”が主流だったようです。しかし、現在は住宅事情によるのでしょうか、再び”親王飾り”が多くなっているようですね。
 まだ”桜”の季節には早いかもしれませんが、「商家の町並み」「菓子の店」では「桜餅」の実演と体験が行われました。体験者の皆さんには、”関東風の桜餅”を作っていただきました(写真:下)。指導の匝瑳市鶴泉堂の「大川功修」のご厚意で”関西風の桜餅””道明寺”も作っていただきました(写真:上の上)。最近は”ひなまつり”には、”桜餅”をたべるのが定番になっているようですが、華やかな”お雛様”を飾った”ひなまつり”にピンク色の”桜餅”は合いますね。そして何よりも、色ばかりではなく春を感じるような”桜の葉”の香りに包まれた”桜餅”はおいしいですからね。
 雪の”綿帽子”を被って花を下向きにしていた「上総の農家」の”ナノハナ(菜の花)や”コセリバオウレン(小芹葉黄連)”、「安房の農家」の”スイセン(水仙)”(写真:右)も元気になりました。これからは暖かくなるとの予報ですので、”ナノハナ”はこれからたくさん咲き始めると思います(写真:左)。”コセリバオウレン”は、今が見所でしょうか(写真:中)。この日も、この花を見ることだけを目的に来館されたという方が熱心にご覧になっていました。
 NHKの「いだてん」で「中村勘九郎」さんの走るシーンも撮影された「房総のむら」を、栄町の「リバーサイドマラソン」の”いだてん”ランナーの方々走りました。昨年は、園路がぬかるんで走行に支障をきたす心配があることから「房総のむら」周辺の公道だけでしたが、今年は”館内”を無事走っていただくことができました。ランナーの皆さんは、「安房・下総の農家」から入場し、「歌舞伎舞台」「上総の農家」前を通り「商家の町並み」のある「大木戸」から公道に出て、その後は、文化財指定の「民家」や「龍角寺古墳群」や「風土記の丘資料館」前を走り抜けていきました。最初に「房総のむら」に現れたのは順天堂大学のランナーの方でしたが、早い!早い!(写真:上左)。その徐々にランナーの方も多くなってきました。「むらの架け橋」から下のバイパスを見るとランナー方々の長蛇の列です(写真:中右)。この日走ったランナーの方の中からも将来「オリンピック」に出場する”いだてん”が現れることを期待して、「ガンバレ!」

2019年2月13日水曜日

房総のむらの花だより

 本日は、資料館を出発して、堀割、商家の町並み、武家屋敷、おまつり広場の周りを観察しました。


●コナラのドングリの皮がはがれ、地中に根を伸ばし始めました。デンプンをしっかり貯えた子葉が双葉の形になっています。

●商家の町並みの紙の店には、紙の原料になるコウゾの皮の展示がありました。紙漉きの際に使うトロロアオイの展示もありました。

●根生葉では、ゲンノショウコ、コハコベ、マツヨイグサを観察しました。

●コセリバオウレンは、沢山の株に花が咲いていました。まだしばらくの間、観察できそうです。

●ソシンロウバイは、そろそろ花の終わりになりそうです。

●武家屋敷横の梅林の白梅が開花しました。

●ソメイヨシノの冬芽が充実してきた様子を確認しました。

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◎以上は、むらの自然ガイドボランティアさんからの写真と記録です。2月8日(金)の観察に基づいています。(風)

立春(二十四節気)魚上氷(七十二候)2月14日~18日 4度目の雪の「むら」の”雪風景” ”七草” 茅葺民家の”燻蒸” 寒い中でも”わらじ作り” ”災いよけ”🐍 ”お箸作り” ”多色刷り” ”刺子”の体験です

 暦の上では”春が来た”というのに、今シーズン4回の雪です。しかし、「商家の町並み」の「堀割」や「池」にはほとんど”氷”は張っていません。そんな中を、ゆっくりではありますが”鯉”が泳いでいます。
 11日が旧暦の1月7日にあたることから、「下総の農家」では「七草」の展示です。「七草」は、正月7日の朝に”七草粥”を作り、正月の神様である”歳神様”などにお供えし、一年間の家族の”無病息災”を祈って”粥”を食べる行事です。”七草粥”に入れる”七草”は地域よって違うようですが、展示した”七草”は一般的な「せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら、すずな(蕪)、すずしろ(大根)」の六種類です。残念ながら、「房総のむら」には「ほとけのざ(小鬼田平子)」はなかったようです。
 かなり咲いてきた”梅”にも”綿帽子”が被りました。甘い香りを漂わせて下を向いている「風土記の丘」の”ロウバイ(蝋梅)”は、大きな帽子を被りました(写真:上左)。少し咲き始めた「旧平野家住宅」のお椀型になる”薄いピンク色の梅”も雪化粧です(写真:上右)。「房総のむら」では一番に咲いた「武家屋敷」の「茶室」の”コウバイ(紅梅)”(写真:中)と「おまつり広場」の「茶店」から下った”ハクバイ(白梅)”(写真:下)は、花がかなり咲いてきていますが、”雪”で少し寒そうです。
 「上総の農家」横の”コセリバオウレン(小芹葉黄連)”は、すっぽり雪を被り花がほとんど見えません(写真:上)。「上総の農家」の”ナノハナ(菜の花)”も少しづつ花が咲き始めているのですが、寒そうに首を傾げていました(写真:中左)。「安房の農家」の”スイセン(水仙)”は、水分が多い重たい雪で花が下を向いていました(写真:中右)。鳥たちに突かれながらもまだ残っている「上総の農家」の”キンカン(金柑)”は、色づいた実が見えないくらい雪を被っています(写真:下左)。前回も紹介した”キツネノカミソリ(狐の剃刀)の葉が、雪の中に突き出ていました(写真:下右)。
 「風土記の丘」の”モクレン(木蓮)”(写真:上左)や「管理棟」の”コブシ(辛夷)”(写真:上右)の綿毛の蕾が少し大きくなってきましたが、”綿帽子”を被りました。その”コブシ”に時々やってくるのが”ヒヨドリ(鵯)”です(写真:下)。”ヒヨドリ”は、まだ残っている”コブシ”の実を食べにくるようです。”コブシの種”については、当ブログ昨年の「秋分 雷乃収声(9月23日~)でも紹介しましたが、”ハート型の黒い小さな種”です。”ヒヨドリ”の狙いは、その種のようです。
 9日は朝から雪が降り続き、少しづつですが積もりました。雪にもかかわらず、体験目的の方以外にも、成田空港を利用した外国人の方、時代衣裳を楽しむ県外からの来館者、それに写真撮影が目的の来館者の方もいらっしゃいました。雪は午後からは小降りとなりましたが、夕方からの路面の凍結も心配される状況でしたので、申し訳ありませんでしたが早めに閉館とさせていただきました。4度めの雪ですので、少し視点を変えた「房総のむら」の”雪景色”です。
 「水車小屋」も雪ですが、水車は凍ることもなく回っていました(写真:上左)。「上総の農家」を守る”災いよけ”の”繩つり”(写真:上右)や、林の中の”辻切り”の”大蛇”(写真:中左)、それに”石造物”にも雪です。「農家」の畑には春に収穫する野菜などに付けられた”霜よけ”の枯れた笹竹が、田んぼには刈り取った後に”出穂”して枯れた稲が雪を被っていました(写真:下)。
 続いては「風土記の丘エリア」です。国の史跡の巨大な方墳「岩屋古墳」(写真:上左)、「資料館」の横に復元した「竪穴住居」(写真:上右)に、千葉県指定建造物の「旧平野家住宅」(写真:下)の雪景色です。写真下右の庭先の雪を被っているのが、”少しピンク色”の花が咲き始めた梅の木です。
 こちらは、「旧平野家住宅」隣の重要文化財「旧御子神家住宅」です。写真左上は雪の日のようすですが、他の写真は別の日に戸を閉め切って”燻蒸”を行っている時のようすです。”茅葺屋根”の建造物の保護のためには、”燻蒸”が欠かせません。普段は火を使わない文化財の指定を受けている「旧平野家住宅」と「旧御子神家住宅」では、冬季に建物全体に煙がいきわたるよう戸を閉め切って、”土間”で”薪”を燃やして煙を出して”燻蒸”します。天井を見上げると煤けた”梁”や”茅屋根”の内側が見えると思います。
 すっぽり雪を被った重要文化財「旧学習院初等科正堂」です。雪がなければ、真っ黒な”スレート葺”の屋根も雪で真っ白です。手前の芝生広場も真っ白で、白い中に白い建物は期待したほど目立ちませんでした。
 「旧学習院初等科正堂」近くの、墳丘と埴輪列が復元された「龍角寺101号墳」です。”人物埴輪”は頭に白い帽子を被ったようです(写真:中右2枚)。”動物埴輪”は目隠しされたように雪を被っていました(写真:中左)。こちらも動かない人形ですが、「商家の町並み」に現れた”雪だるま”です(写真:下)。それぞれ、特徴のある顔立ちです。しかし、”雪だるま”は溶けてしまうのが運命、そのままにしておくとその回りだけがぬかるんでしまいますので、早々に姿を消したようです。
 「商家の町並み」「川魚の店」では、一年に一度の「なまず料理」の実演です。詳細については、当ブログ「なまず料理」をご覧ください。蓋の付いた浅い”桶”に”なまず(鯰)”がいます(写真:上)。白身の”なまずの揚げたてのフライ”は”ホクホク”です。雪が降る寒いところで、”フーフー”しながらいただく”なまず”の味噌汁”ひっこがし汁”は、体があたたまりました。太い”葱”を嚙むと、中からやわらかい甘みのある汁とともに細い”葱”が”ちゅる”とでてきてまたおいしかったです。あまり”川魚のクセ”を感じず食べられる”なまず料理”を、外国人の方も”食の体験”をしていました。
 「安房の農家」では、「わらじ作り」の体験です。並べてあるのは、左が”わらじ”で、右が当ブログ「立春 東風解凍(2月4日~)」で紹介した”足半(あしなか)”です(写真:左)。”わらじ”は”わらぞうり”と混同されがちですが、これまでも何度か紹介してきたように、”わらぞうり”は”わら”で作った”サンダル”ですが、”わらじ”は”鼻緒”から伸びる長い細縄を側方の輪にかけながら足首に巻きアキレス腱側で結んで使用します。細縄で足に縛り付けるので、”鼻緒”だけの”ぞうり”に比べ足に密着し歩きやすかったので、昔の徒歩での旅行や登山の必需品だったそうです。
 同じく”わら”を使った手工芸ですが、「下総の農家」では「災いよけ」作りの体験です。「房総のむら」では、「上総・下総・安房の農家」周辺のあちこちに、房総半島で行われている「災いよけ」を再現展示しています。”村”の入口には道を跨ぐように”繩つり”や”綱つり”が下げられ、林の中には”大蛇”や”鹿島人形”、それに”大わらじ”なども再現されています。今回は、雪のために外への展示は先送りになりましたが、「下総の農家」の入口にも付けられている(写真:上左)八千代市上高野に伝えられている家の門口にかける”小蛇”を作りました。”蛇”の頭を三角に作り(写真:中左)、胴は縄を綯って作ります(写真:上右)。目と舌に赤いトウガラシを付けて完成です(写真:下左)。体験者の方が、”小蛇”を首に巻いていました(写真:下左)。自分を”災い”から守るためでしょうか。ご自宅のマンションの入口に飾るそうです。結構、集合住宅でも飾る方がいらっしゃるようです。”災い”が来ないことをお祈りいたします。
 こちらでも、雪にもかかわらず体験です。お聞きすると、初めから「商家の町並み」「木工所」でのこの「お箸作り」の体験を目的に来館されたそうです。雪にも負けないで、ご来館ありがとうございます。息子さんも、なかなか”鉋(かんな)”の扱いが上手で、いい太さの”マイ箸”ができたようです。
 こちらでも、外は雪が降る「商家の町並み」「本・瓦版の店」の店先で、「多色刷り」の体験です(写真:上左)。”版木”に色をのせ(写真:上右)、”見当”をしっかり合わせ(写真:中左)、”バレン”で摺ります(写真:中右)。別の体験の指導で来館の”摺り”の「松崎啓三郎」さんが、仕上がり具合を確認して「”ゆっくり”では、色が乾いてしまします。”手早く”やるのが”コツ”ですよ」と、アドバイスしてくれて”お手本”です(写真:下左)。この日の”絵”は、まさにこの日のためのような「雪を被った茅葺農家と赤い実を付けた南天(ナンテン)」でした。色をのせたり、見当を合わせたりで、指先がかなり冷たかったと思いますが、「先生」いい作品ができたと思います。
 そんな「雪を被った茅葺農家と赤い実を付けた南天」を「房総のむら」で探してみましたが、見つかりませんでした。”南天”と”茅葺農家”は当然あるのですが、残念ながら”南天の赤い実”が残っていなかったのです。今回の多色刷りの風景は、もう少し早い時期に雪が降れば「房総のむら」でも見られるのです。残念。
 寒い雪が降る寒い日ですが、「商家の町並み」の「小間物の店」の暖かい部屋の中では「刺子(花ふきん)」作りの体験です。”藍染”や”草木染”した綿布に、色糸で模様を刺して”花ふきん”を作ります。今回は、少ない模様ですが、長時間をかければ布全体に”刺子”をするような絵柄も作れますね。常連さんたちに混じって、「多色刷り」の体験をされていた「先生」もいらしゃいました。「房総のむら」の体験を、是非子どもさんたちに教えてあげてください。今度は、子どもさんたちを連れて「刺子」の体験においでになってはいかがですか。