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二月以後の日、外は雨です
突然ですが、哺乳類の中には
ヒトやゾウ、サイのように体毛が薄い動物がいます
イヌやネコ、サルなどのように、毛皮で覆われているのと対照的です
マンモスは濃い体毛だったのに、なぜ現生のゾウは体毛は薄くなったのでしょうか
体毛には、外圧や紫外線からの皮膚の保護、保温効果などがあります
ヒトは、他の類人猿とは異なる生活、行動をする中で
次第に体毛が薄くなってきたのではないでしょうか
ところで、イヌの毛並みを観察すると、毛の生えている向きに水が流れることもわかります
そのため、体毛が薄いヒトは、今日のような雨の日、傘をさしたり、レインコートを着なくてはなりません
このような雨具の中で、古くから使われていたのが「蓑」です
外から見ると、ワラをかぶっているだけのように見えますが
内側には、腕をとおす仕組み、通気性と外形を保つ網状の仕組みなど
簡素でありながら、機能性を重視した作りとなっています(や)
「寒い」、「雪」だといっていたのですが、少しづつ日も伸び暖かくなり、気が付けば3月になります。「雨水」の末候の七十二候は、「草木萌動(そうもくめばえいずる)」です。春の訪れを感じさせてくれる”フキノトウ(蕗の薹)は、「大寒 款冬華(1月20日)」には固い蕾だったのですが、この時期になると花が顔を出しています。まわりの葉の先端が丸い”フキの葉”になっている個体がありました(写真:下)。
枝の先に”ふかふかの毛”で被われて暖かそうな”花芽”から、春の訪れを告げる白い花が咲きます。”ハクモクレン(白木蓮)”は、”ふかふかの毛の帽子”を3重に被っているそうで、今は2枚目の帽子を上空に向かって脱いだところでしょうか(写真:左)。横を向いている”コブシ(辛夷)”は、暖かい毛に包まれた”花芽”が破れて筆の穂先のような花が見え始めました(写真:右)。もうすぐ白い花が見られると思います。
”アジサイ(紫陽花)”も活動を開始したようです。”アジサイ”の”冬芽”は、”コブシ”のような暖かい毛に被われることもなく”裸”のようで寒そうでしたが、新しい葉がでてきました。
「雨水 土脉潤起(2月19日~)」に続き、新しく交換した”災いよけ”の続報です。今回は、「上総の農家」と「安房の農家」が担当した”災いよけ”の紹介です。「房総のむら」に「大木戸」から入館された方が「農家」に向かって歩き出して、最初に目に入るのが「上総の農家」の手前に何やらいろいろなものがぶら下がった”縄”でしょう(写真:下左)。これは、「東京湾アクアライン」の千葉県側陸地の木更津市金田地区の”綱つり”を再現展示したものです。”左綯いの縄”にワラで作った”海老”、”蛸”、”男女のかしま人形”、”タワシ”に”お札”や”サイコロ”がぶら下がっています。”蛸”は”災い”を吸い、”かしま人形”は”災い”を追い払い、”タワシ”で洗い”むら”が平和で栄えることを願います(写真:上)。「安房の農家」では、鴨川市打墨地区の”綱つり”の事例です。こちらでは、”縄”に”わらじ”、”わらぞうり”、”杉の葉を挿した瓢箪”、”唐辛子を挟んだツットコ”と”お札”が下げられています(写真:下右)。
「水車小屋」近くの谷には、いろいろな”災いよけ”が再現展示されています。”ワラ”で作られた等身大の”武者人形男女一対”の”かしま人形”は、袖ケ浦市阿部地区の事例です。すだれ状に編んだ”ワラの衣”をまとい、”桟俵の鐔”の竹の刀を二本差し、手には”男人形(写真:右=頭に髷)は袖がらみ”を、”女人形(写真:左)は薙刀”を持ち両手をひろげて立ちはだかっています。「災いは通さないぞ!」
こちらは、南房総市和田町仁我浦地区の3例の”綱つり”の再現展示です。仁我浦地区では、上台(写真:下左)、中台、下台(写真:下中)、橋の下(写真:下右)の4つの地区ごとに、”むら境”に”流行り病”など悪いものが入らないように”御神酒”をかけた”大蛇”を飾ります。ワラで作られる1.9mほどの”大蛇”の頭部は”三つ編み”の要領で作りますが、胴部は”三つ編み”(下台、橋の下)と”ゴボウジメ”(上台)と違い、さらに胴部から下げる”ぞうり”、”桟俵”、”タワシ”、”サイコロ”、”お札”の有無によって違いがあります。「ノロウイルスやインフルエンザが入ってきませんように」
「上総の農家」の「果樹園」では、梅の花が咲き「梅園」が解放された隣で「果樹の手入れ(柿)」の「わざ指南道場」が行われていました。初めに指導者の「宮﨑 弘」から”柿”の木の剪定の説明を受け(写真:上)、その後にそれぞれが剪定作業を行っていました(写真:下)。しかし、枝を見て考えながらで難しそうです。「宮﨑」さんの説明で驚いたのですが、柿の花は一般的には”雌花”だけが咲き、”雄花”が咲く種類は少ないのだそうです。そして、”柿”は受粉しなくても実が大きくなるのだそうです。ですから、”柿”を生産する畑では”受粉樹”と呼ばれる”雄花”が咲く木を植えるところもあるのだそうです。知りませんでした。そこで、”柿”の剪定ですが、”柿”の実は前年度に伸びた枝から出る新しい枝にできるのだそうで、その枝の見極めと葉に光がよくあたるようにすることが重要のようです。”柿”の剪定も難しいようです。さすがにこれは「わざ指南道場」レベルですね。「上総の農家」の”柿”は、一昨年はたくさん実がついたのですが、昨年はあまり実がつきませんでした。”柿”にはよく見られる「隔年結実」という現象のようすが、今年はどうでしょうか。
”雄花”と”雌花”があるといえば、「上総の農家」近くのに”コセリバオウレン(小芹葉黄連)”ですね。「房総のむら」では、”雄しべ”だけの真っ白な”雄花”とそこに”雌しべ”が混じった”両性花”は見られるのですが、”雌しべ”だけの花は確認していません。昨年の12月16日に今シーズン最初の開花を確認した”コセリバオウレン”ですが、花が終わった株も目立つようになってきました。春の花が咲き始めて、そろそろ”冬の妖精””コセリバオウレン”の見頃は過ぎそうです。この花だけを目的に遠くから来館させる方もいらっしゃいますが、お急ぎください。
ということで、春を待っていた小さな花もすこしづつ増えてきています。”オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)”は、花がかなり増えてきました(写真:上)。近くに”ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)”(写真:下左)と”ホトケノザ(仏の座)”(写真:下中)も咲いていました。田んぼのまわりでは、”ナズナ(薺)の白い花が咲いていました(写真:下右)。
重要文化財「旧御子神家住宅」前の「むら」の”鳥のプール”には、たくさんの鳥たちが集まっていました。プール中央の”ヤマガラ(山雀)”が両サイドで水浴びする”シジュウカラ(四十雀)”を見ています(写真:上左)。そして、次は自分の番と、”ヤマガラ”も”シジュウカラ”の前で水浴びです(写真:上右)。”シジュウカラ”と”メジロ(目白)も交互に水の掛け合いです(写真:中左2枚)。その”メジロ”がプールサイドにやってきた”エナガ(柄長)”に両翼を広げています(写真:中右)。”エナガ”は場所を移って”シジュウカラ”の前で水浴びをしましたが(写真:下左)、”シジュウカラ”にも「あっちへ行け」とばかりに一方の翼を広げられました(写真:下中)。(ほんとかな?) 最後は、同じく「風土記の丘エリア」の”紅梅・白梅”の花が咲く「水生植物園」からですが、ほとんど花が咲かなくなった”梅の木”にたくさんの”アオジ(青鵐)”が集まって”苔むした木”をつついていました(写真:下右)。
「茶室」をたずねると、床の間に”桃の花”と”菜の花”が活けられていました。「房総のむら」では、まだ”桃の花”は咲いていませんが、”雛祭り”が近いので”桃の花”だそうです。”軸”は「一華開五葉(いっかごようひらく)」、難しい解釈はともかく”花が開く”ということで季節感のある吉祥句ですね。庭先の”紅梅”を見ながら、「茶の湯・お点前」の体験はいかがですか。館内の”梅”は、日ごとに花が増えてきています(写真:右上)。「旧平野家住宅」の”ユキヤナギ(雪柳)”が数輪ですが花をつけていました(写真:右下)。
「房総のむら」に隣接する栄町の「ドラムの里」の早咲き桜、”河津桜”です。”お花見”にはまだ早いかもしれませんが、こちらも少しづつ花が増えてきています。昭和30年に発見され、昭和49年に”河津桜”と命名されたそうですが、まだ発見から60年ほどだというのにその広がりはすごいですね。昔ながらの”ソメイヨシノ”などの桜が咲く前に、桜の花が見られるのがうれしいですね。
二十四節気「雨水」の七十二候の次候は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」です。20日の未明に降った雨で、朝日が昇り始めた頃にはうっすらと”春霞”がかかったような景色になりました。朝日を浴びた「総屋」「管理棟」は白く輝き(写真:上)、水滴が付いた枝の先の林も少しかすんでいました(写真:下)。
「風土記の丘エリア」「水生植物園」の”八重の小さな梅の花”が遠くから見ると”白い霞”と”赤い霞”のように見えなくもありません。花は小さいのですが、かなり密に花が付いているのでそう見えるのだと思います。
「房総のむら」では、1月10日に今年最初の”梅の開花”を確認しました。しかしその後、寒い日、雪の日もありなかなか花は増えませんでしたが、ここ数日温かくなってきて館内各所の”梅”がかなり開いてきました。「水生植物園」の八重の”白梅”と”紅梅”の近景です(写真:上)。「水車小屋」横の”紅梅”や「下総の農家」の”白梅”も咲き始めました(写真:中)。「風土記の丘エリア」では、「旧平野家住宅」の”ピンク色の梅”、対照的に「旧御子神家住宅」の”緑っぽく見える梅”も咲き始めています(写真:下)。
”梅の花”もよく見ると違いまあります。”梅の花”は、一般的には”花弁”が5枚(写真:上左2枚)ですが、中には6枚の花もあります(写真:上右2枚)。また、”花弁”そのものも丸っぽい花もあります(写真:上左から2枚目)。”八重”の白い花に、”雌しべ”が2本のものがありました(写真:2段目左2枚)。「旧平野家住宅」と「旧御子神家住宅」の全体がピンク色の花(写真:中3枚目)と緑っぽい花(写真:中右)を拡大しました。”雄しべ”の一部が”弁化”した花もあります(写真:3段目左から2枚目の白梅、最下段左から2枚目の紅梅)。”紅梅”の中に花びらが7枚の花がありました(写真:最下段:左)。梅もいろいろの種類があるようです。これからは、「武家屋敷」と「上総の農家」の”梅園”の花が見頃となります。ちょっと変わった花も見られると思います。是非、ご覧ください。
2月19日は旧暦の1月15日(小正月)でしたので、「上総の農家」と「安房の農家」では「小正月飾り」の展示を行いました。”小正月”とは、1月1日の”大正月”に対する呼び方で、月の満ち欠けによる”旧暦”では満月となる15日が区切りで”新たな始まり”と考えていたことから”小正月”として”新年”を祝いました。「上総の農家」では、”神棚”に”餅”を付けた”ウメ(梅)の木”を飾り、”神棚”のある座敷には”ナラ(楢)の木”に”餅”を付けた”キワタ(木綿)”を飾りました(写真:上左)。また、”ヤナギ(柳)の棒(ホックリ棒)”で”小豆粥”をかき混ぜ、”ホックリ棒”に”粥”がどれくらい付くかで豊作を占いました(写真:中左)。”神前”には、”餅”をのせた”小豆粥”とともに”粥が付いたホックリ棒”と”12膳分の箸”もお供えしました(写真:中右)。”かって(勝て)”にも、家族用の”膳”を展示しました(写真:中右)。「上総の農家」のモデルである大網白里市「秋葉家」の行事の再現です。「安房の農家」では、南房総市旧三芳村の事例の再現で”ワタダンゴ(綿団子)”を作りました(写真:下左)。”ちぎったような紅白の餅”(写真:下右)を”イボタノキ(疣取木)”に花が咲いたように付ける作業は、来館者の皆さんに体験していただきました(写真:下左)。
「商家の町並み」「木工所」では、「樽作り」の実演です。今回の実演では、「商家の町並み」の店先などに置かれている”手桶”を直していただきました。来館者の皆さんが、”打ち水”などの体験をしているあの”手桶”です。中には、開館以来使用している”桶”もあるようで、これまでも直しながら使ってきましたが、水が漏ってきましたので”タガ(箍)”を締め直していただきました。また、今回新たに新調した”樽”を使って、早速”漬物”を作ってみました(写真:下右)。ポリバケツで漬けるのとは違った、ほのかに木の香りのするおいしい”漬物”ができました。しかし、木製の”樽”は管理が大変ですよね。”酒樽”や”醤油樽”なども木製の”樽”は少なくなってきているようですが、木製の”樽”には昔ながらの味がありますね。
「農家」では、”農作業”の合い間に手作業で”縄綯い”を行います。昔ながらの農作業には、”稲わらで作った繩”は必要不可欠の消耗品です。しかし、一年間の”農作業”に必要な”縄”をすべて手作業で作ることは大変な作業です。単純な作業のように見えますが、手のひらをうまく使う”熟練の技”と”経験”が必要ですし、しかも長時間同じ姿勢での作業はかなりの重労働です。機会があったら、皆さんも”繩綯い”を体験してみてください。
そこで、発明されたのが「製繩機」です。佐賀県の農家に生まれた「宮崎林三郎」氏が「繩ない機こそが農家に幸福と利益を与える」と、盲目にかかわらず8年がかりで完成させ明治38(1905)年に”特許”を取ったのが世界初の「製繩機」とされています。その後、「製繩機」は各地に普及し、多くの会社が改良を重ね、初めは”足踏み式の人力”によるものでしたが、戦後には動力式のものも作られています。しかし、昭和30年代後半には”石油化学製品の縄や紐”が増え、”稲わらの縄”の需要が減少し「製繩機」の製造も終わったようです。「製繩機」については、昨年の「穀雨 霜止出苗(4月25日~)」で一度紹介したことがありますが、「下総の農家」で「製繩機」で”縄”を綯っている様子をご覧になっていた方がこの機械に大変興味を示し、最後には「今日一番の驚きだ」と感動してくれましたので、再び紹介することとしました。”稲わら繩”は手作業の場合、”わら”を”よじり”、”ねじり”、さらに”引っ張る”作業を連続することで綯っていきますが、足踏みの人力で”歯車丸出し”のこの「製繩機」がその作業をやってくれるのですから、見ている方の感動もうなづけます。「房総のむら」には3台の「製繩機」がありますが、どれも”足踏み式”で構造はよく似ています。「上総の農家」は「田中式製繩機」(写真:左)、「下総の農家」は「サトー式製繩機」(写真:右)です。時々、「足踏み式製繩機」で”繩綯い”を実演していますのでご覧ください。”繩綯い”の手作業を忠実に再現するこの機械は、優れものです。
「水車小屋」でも、大きな”歯車”が”いい仕事”をしています。「房総のむら」の「水車」は、流れ落ちる水で中央に軸の付いた”大きな輪(羽根車=水車)”を回転させて水のエネルギーを取り出し、その”動力”を使って”臼に杵を搗く”作業をしています。「水車小屋」の大きな”歯車”は、取り出した”動力”の回転方向を変えながら”動力”を伝え、最終的にはその”動力”で”臼”の上に設置された”杵”を持ち上げます。「水車」は、江戸時代から”精米”や”製粉”に使われてきましたが、最近は見かけなくなったようです。
「風土記の丘」の「弥生時代の竪穴住居」の復元作業が進められていますが、右奥の「古墳時代の竪穴住居」でも”燻蒸”が行われていました。”茅葺の民家”と同じで”茅葺屋根”の「竪穴住居」でも、”建物”を長持ちさせるためには”燻蒸”は欠かせない作業です。”屋根の茅”を除去した解体中の古い建物も、部材が黒く”煤”けているのがわかると思います(写真:下左)。そして、部材を固定させるのに釘を使わない”竪穴住居”では、民家の”茅葺屋根”と同じように部材の緊結には”繩”を使います(写真:下右)。
春を告げる花は”ロウバイ(蝋梅)”など黄色い花が多いようですが、「めし屋」近くの”マンサク(万作)”が黄色の花を咲かせました(写真:上)。他では既に咲き出しているようなですが、「房総のむら」でもやっと咲きました。少し高いところで咲いていますので、見にくいかもしれません。「風土記の丘」の”ヤブツバキ(藪椿)”です(写真:下)。全体に淡い色の春の景色の中で、春の陽射しを反射する”濃い緑色の葉”の間に”深紅の花びら”と中央の”雄しべ先端の黄色”が際立っていました(写真:下)。
今日は、商家の町並み そば屋で、一年に一度の「干しうどん」の実演です
江戸時代には、干しうどんを売るそば屋が多くあったそうで
現在の市川市行徳にあった「笹屋」という店の名物でした
生地を延ばしていると、町並みを散策する紳士の姿が目に入りました
北アイルランドからお越しのディビッドさんです
お声掛けをしてみたところ。俄然やる気を出し
上着を脱いで麺棒をつかみ、見事な手さばきでうどん作りに挑戦です
包丁を握る姿も絵になっています
初めての体験だということでしたが、上手に切れたうどんを干しました
一年に一度は日本にいらっしゃるとのことで
また、房総のむらにお越しいただければ幸いです(や)
2月18日のブログにも さかえリバーサイドマラソン2019 の
画像を掲載してありますが
房総のむらもコースとなり、2千5百人を超えるランナーが走り抜けました
マラソンといえば、冬のスポーツというイメージがありますね
ところで、今でこそスポーツと呼んでいるものも
日本では、順位を競う競技として育まれたものではなかったようです
いわゆる「武道」であったり、子供たちの「あそび」であったりしたものです
その中で「走る」ことは、江戸時代の飛脚が思い当ります
人が走ったり、馬を使った飛脚は、遠方への重要な情報伝達の手段でした
情報伝達の重要性は、奈良時代には認識されていて
当時の30里(約16キロメートル)ごとに「駅」を設置し、「馬」を置くことが決められています
「駅」の間を「伝馬」で情報を送り伝えることから、「駅伝制」と呼んでいます
「駅伝」? 現代にもそんな言葉がありましたね
そうです、現在の駅伝は、律令制度の「駅伝制」を参考に名づけられたものでした
さて、リーバサイドマラソンのランナーにも、当館職員が熱い声援を送りました(や)
二十四節気は「雨水」に進み、降っても”雪”から”雨”となり、七十二候は「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」で、雨が降って湿り気を含み草木が芽吹き始める頃になります。15日には今シーズン5度目になりますが、小雪も舞いましたがこれで”雪”はおしましでしょうか。この頃になると、地上に落ちた”どんぐり”の中には根を出しているものもあります。この芽をご自宅で育ていただき、半年後に「房総のむら」の林に植樹していただいているのが「立春 黄鶯睍睆(2月9日~)」で紹介した「緑の里親(どんぐりの木を育てよう)」です。
今年三回目の「房総座」は、「柳家三三」師匠の登場です。「総屋」二階の会場は、ほぼ満員のお客さんです。今回の”出し物”は、”一席目”が侍が船縁で”煙管”を叩いた拍子に”雁首”が川の中に落ちるところから始まる「岸柳島」と、”賽子博打”で”笊”の外に”ぴんの目(賽子の目が一)”の”賽子”がある「看板のぴん」でした。二席目は雪の日が多かったことに引っかけてか、”雪見酒”で寝てみた夢の話の「橋場の雪」でした。いつものように、リズミカルで軽妙な語り口にお客さんも満足のようでした。しかし、お客様から「カメラのシャッター音がうるさい」と苦情がありました。大変申し訳ありませんでした。”まくら”の部分で記録、広報用の写真を撮っているわけですが、「三三」師匠の”噺”を聞くお客様にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
館内のあちこちに展示してある”災いよけ”は、「房総のむら」では一年に一度新しいものと交換していますが、その交換の時期です。「下総の農家」では、印西市本埜龍腹寺の”辻切り”を再現展示しています(写真:上)。”大ムカデ”をかたどった”毛羽立った太い綱”の中央に寺の”お札”を挟んだ”ヌルデの枝”と”榊”、”篠竹”を刺して”五穀豊穣”を祈り、”むらの入口”に吊るします(写真:下左)。その近くの、「庚申塔」の”しめ縄”も新しくなりました。これは、匝瑳市八日市場西小笹地区で2月に行われている”オデイハンヤ”の再現展示です。子どもたちが”細いしめ縄”を七回り半巻いた上に太い”ゴボウジメ”をつけた”大般若経”の入った”経箱”を担いで、地区の各戸を回り”無病息災”を祈ります。そして各戸を回りおわると、”経箱”の”しめ縄”を”サト(むら境)”の「庚申塔」に巻きつけますが、その様子を再現展示しています(写真:下右)。
大きな”わらぞうり”は、富津市関尻地区の”綱つり”の再現展示です(写真:上)。昔は、2月の初めての雨の日に行われたそうです。大きな”ぞうり”は、「この”むら”にはこの”わらぞうり”を履く”巨人”が住んでいるとか、疫病神にこの”ぞうり”を履いて帰ってもらうため」といわれています。”綱”に挟み込まれた”杉の葉”と”炭”は、「私の”むら”の”災い”は”過ぎ(杉)”ました。”済み(炭)”ました。」と”門前払い”するためで、しかし”災い”を”門前払い”したままでは後々もっと祟ると怖いので”酒樽”の酒を振る舞い新しい”ぞうり”を履いて帰ってもらうという願いが込められているそうです。下は、”辻切り”の再現展示です。八千代市上高野(写真:下左)や佐倉市井野(写真:下右)では、”むら”に悪疫が侵入しないように”むらの境”の木に”わら”で作った”大蛇”を縛り付けます。蛇の背中には魔よけに”ヒイラギ”が付けられ、目や舌は”赤トウガラシ”などが使われています。前回(「立春 魚上氷」)の”災いよけ”の体験でも紹介したように、「下総の農家」の入口の”小蛇”も新しくなりました(写真:中右)。
「上総の農家」では、大網白里市萱田地区の「おびしゃ」の”的”や”矢”の再現展示と体験を行いました(写真:上)。「おびしゃ」は、主に関東地方で行われてきた春の行事です。中でも千葉県北・中地域は、「おびしゃ」が盛んに行われていました。年の始めの1月から2月にかけて、”弓”を射てその年の作物の作柄など”神意”を占う”予祝行事”です。来館者の皆さんにも、”弓”で”矢”を射ていただきました。お父さんは3本中2本が”的中”です(写真:下左2枚)。お父さんの指導で、お嬢さんも体験です(写真:下右)。
「下総の農家」でも「おびしゃ」の展示です。あれ?「おびしゃ」は、”弓を射て”その年の作柄などを占う行事では?そうなんです。本来の「おびしゃ」は、”弓を射て”行う”予祝行事”とそれに付随する”当番の引継ぎ”、そして集まった人たちの”共同飲食”という三つから成り立っていましたが、「下総の農家」の展示は”引継ぎ”と”飲食”の部分が残った香取郡多古町の事例なのです。しかも、多古町周辺の「おびしゃ」は男女別々に行われるそうで、展示した事例は”子孫繁栄”を願って女性だけで行われた「女おびしゃ」です。”御神体”である”鬼子母神”の”掛け軸”や”供物”を飾り、飲食とともにめでたい歌(「下総の農家」には”歌”が流れていました)を歌い”当番の引継ぎ”を行います。「おびしゃ」には、このほかに”にらめっこ”をしたり、”酒を飲み比べ”たりする地域もあります。
「立春」も過ぎ、今年もそろそろ”お雛様”を飾る時期になってきましたので、「房総のむら」でも恒例になってきました「ビックりひなまつり」の展示を16日から始めました。3月10日までご覧いただけます。「農村歌舞伎舞台」に”七段飾り”に合わせて、最上段には”内裏雛”、二段目に”三人官女”、三段目が”五人囃子”、四段目に”随人”、五段目に”衛士”、六段目と最下段には”道具類”を並べました。この”お雛様”は、なかなかご家庭では飾ることができなくなったものを皆様から提供されたものです。”お雛様”飾りの前に並んだのは、お雛様を飾った「房総のむら」”のスタッフ(「むら」のお雛様?)です(写真:下右)。
「総屋」には”親王飾り”です。”段飾り”が盛んになったのは”江戸時代の元禄期”頃からのようで、それ以前は”お内裏様”と”お雛様”を並べた”親王飾り”が主流だったようです。しかし、現在は住宅事情によるのでしょうか、再び”親王飾り”が多くなっているようですね。
まだ”桜”の季節には早いかもしれませんが、「商家の町並み」「菓子の店」では「桜餅」の実演と体験が行われました。体験者の皆さんには、”関東風の桜餅”を作っていただきました(写真:下)。指導の匝瑳市鶴泉堂の「大川功修」のご厚意で”関西風の桜餅””道明寺”も作っていただきました(写真:上の上)。最近は”ひなまつり”には、”桜餅”をたべるのが定番になっているようですが、華やかな”お雛様”を飾った”ひなまつり”にピンク色の”桜餅”は合いますね。そして何よりも、色ばかりではなく春を感じるような”桜の葉”の香りに包まれた”桜餅”はおいしいですからね。
雪の”綿帽子”を被って花を下向きにしていた「上総の農家」の”ナノハナ(菜の花)や”コセリバオウレン(小芹葉黄連)”、「安房の農家」の”スイセン(水仙)”(写真:右)も元気になりました。これからは暖かくなるとの予報ですので、”ナノハナ”はこれからたくさん咲き始めると思います(写真:左)。”コセリバオウレン”は、今が見所でしょうか(写真:中)。この日も、この花を見ることだけを目的に来館されたという方が熱心にご覧になっていました。
NHKの「いだてん」で「中村勘九郎」さんの走るシーンも撮影された「房総のむら」を、栄町の「リバーサイドマラソン」の”いだてん”ランナーの方々走りました。昨年は、園路がぬかるんで走行に支障をきたす心配があることから「房総のむら」周辺の公道だけでしたが、今年は”館内”を無事走っていただくことができました。ランナーの皆さんは、「安房・下総の農家」から入場し、「歌舞伎舞台」「上総の農家」前を通り「商家の町並み」のある「大木戸」から公道に出て、その後は、文化財指定の「民家」や「龍角寺古墳群」や「風土記の丘資料館」前を走り抜けていきました。最初に「房総のむら」に現れたのは順天堂大学のランナーの方でしたが、早い!早い!(写真:上左)。その徐々にランナーの方も多くなってきました。「むらの架け橋」から下のバイパスを見るとランナー方々の長蛇の列です(写真:中右)。この日走ったランナーの方の中からも将来「オリンピック」に出場する”いだてん”が現れることを期待して、「ガンバレ!」