観覧された方々からの質問に、今は静かな町が、何故こんなに栄えていたのか? 物井という地名はどこから来たのか? というのがありました。
車とJRの現代社会では理解できないナゾが隠されています。それは、印旛沼。かつて印旛沼は霞ヶ浦、手賀沼とつながった大きな内水面でした。古代には「香取の海」とよばれていますが、太平洋から小見川・香取・石岡・土浦・成田・佐倉・柏までつながる船の路でした。佐倉からの支流鹿島川の交通の要地が四街道市物井地区だったのです。物資の運搬が盛んだったことは展示品からわかりますが、地名そのものが古代豪族の物部氏に由来するともいわれています(ori)。
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